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物集高見 : ミニ英和和英辞書
物集高見[もずめ たかみ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [もの]
 【名詞】 1. thing 2. object 
: [しゅう]
 【名詞】 1. collection 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高見 : [たかみ]
 【名詞】 1. (your) opinion 2. excellent idea

物集高見 : ウィキペディア日本語版
物集高見[もずめ たかみ]

物集 高見(もずめ たかみ、弘化4年5月28日1847年7月10日) - 昭和3年(1928年6月23日)は、豊後国大分県)出身の国学者
==経歴==
父は国学者の物集高世で、高見はその二男三女の長男として豊後国速見郡杵築北新町(現・大分県杵築市)に生まれる。幼名素太郎、後に善五郎と改める。鶯谷・菫園または埋書居士と号する。
少年時代、故郷で漢学国学を修める。慶応元年(1866年)、長崎に出て蘭学を修める。慶応2年(1867年)、20歳の折に京都に出て、玉松操六人部是香に師事して国書を修める。
明治2年(1869年)に上京。明治3年(1870年)5月、平田銕胤の門に入り国学を、また神祇官職員の東条琴台に師事して漢学を修める。同年から神祇官の宣教史生の職を得た。
明治4年(1871年)24歳からは洋学も修める。明治5年(1872年)から教部省に出仕する(中録十等)。職務のかたわら辞書編纂を企画した。また「本邦語源考」「事物名義考」の研究発表もしている。高見の言語に対する興味は、この頃からあったと考えられる。
明治7年(1874年)27歳の時、杵築在の岩田なつ子と結婚する。国文法研究には英文法が必要と考え、明治8年(1875年)からは近藤真琴のもとで英語を学ぶ。教部省が廃止されたので、内務省に移る。明治12年(1879年)、高見33歳の折に内務省より月山神社宮司羽黒山神社湯殿山神社宮司に任ぜられ、学習院や女子師範学校の教授をも兼務している。國學院大學の創立委員の一人として尽力した。
明治16年(1883年1月2日、父・高世が没する。大分県気付きから帝国大学文科大学御用掛取扱(准判任官)に任ぜられる。
明治19年(1886年3月から帝国大学教授に任ぜられる。さらに、東京師範学校東京教育大学筑波大学の前身)や文部省参事官を兼任する。
明治20年(1887年1月7日、宮中御講書始めの講師を命じられる。夏、避暑先の神奈川県横浜市金沢区富岡で、宮内大臣土方久元御歌所高崎正風警視総監三島通庸などの高官に会い、ある高官(松方正義ともいわれる)によって外交官に推されそうになったが謝絶した。その代わりに国語辞典「日本大辞林」編纂事業への資金援助を約束される。当時、小学校教師や警察官の月給が6〜7円だった時代において、原稿料1枚10円〔物集高量『百歳は折り返し点』日本出版社、1979年、152頁〕という超巨額の援助だった。このほか、門人下田歌子に乞われて、華族女学校の副読本を執筆したこともある。
明治23年(1890年)には学習院大学部(旧制)の教授も兼任する。
明治28年(1895年)、勲六等瑞宝章を賜る。
明治32年(1899年)3月、文学博士となる。同年4月、東京帝国大学文科大学の井上哲次郎の勧告で大学を退官。背景には、門人上田万年との文学論争をきっかけとする、上田とその弟子たちによる追い出し工作があったとされている。高見はこのことを深く恨み、息子高量に向かって「上田の家は小石川伝通院にあるが、決してその前を通ってはならぬ」と命じていた。辞職直後は、乱れた心を鎮めるため、自宅で習字ばかりしていたとも伝えられている。
以後は私財を注ぎ込んで在野学者として研究に没頭し、貧窮の中で全国を行脚して約5万冊の書物を集め、さらにその総てを読破した。「広文庫」全20巻の内の第1巻を大正5年(1916年)に広文庫刊行会より刊行、大正7年(1918年)には全巻の刊行を終る。1916年から1917年に全3巻の「群書索引」を刊行した。
昭和2年(1927年)2月、81歳の折には「皇學叢書」全12巻を刊行した。商業ベースの出版ではなかったが為、膨大な借財を負った。昭和3年(1928年6月23日大分県速見郡杵築町寺町の自宅にて死去した。享年82。
長男の物集高量国文学者で、娘の大倉燁子(てるこ)と物集和子は共に小説家である。女優の早瀬久美は高見の曾孫にあたる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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