翻訳と辞書
Words near each other
・ 片岡我当
・ 片岡我當
・ 片岡我當 (2代目)
・ 片岡我當 (5代目)
・ 片岡我童
・ 片岡我童 (13代目)
・ 片岡操
・ 片岡敏郎
・ 片岡敬司
・ 片岡文雄
片岡新之介
・ 片岡旭
・ 片岡昇
・ 片岡昇 (法学者)
・ 片岡明日香
・ 片岡易之
・ 片岡昭吾
・ 片岡晴子
・ 片岡晴彦
・ 片岡曻


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

片岡新之介 : ミニ英和和英辞書
片岡新之介[かたおか しんのすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [かい]
  1. (n,vs) shell 2. shellfish 3. being in between 4. mediation 5. concerning oneself with

片岡新之介 : ウィキペディア日本語版
片岡新之介[かたおか しんのすけ]

片岡 新之介(かたおか しんのすけ、1947年11月5日 - )は、元プロ野球選手捕手)。旧名は片岡 旭(-あきら)。広島県福山市生まれ、岡山県育ち。
== 来歴・人物 ==
福山工業高校に合格するも、父の転勤により倉敷工業高校に進学。2年生まで捕手で、3年生の時には投手を務める。平松政次松岡弘森安敏明と並んで岡山四天王の一人として注目されるが、捕手のリードに首を振って打たれたことから捕手の重要性に気付く。1965年全国高等学校野球選手権岡山大会では準々決勝で関西に敗退。芝浦工業大学に進学し、伊原春樹と共に活躍するも中退。その後はクラレ岡山に所属した。クラレ岡山では都市対抗野球大会で毎年活躍、1969年の対富士重工業戦では延長戦で投手が払底し、急遽登板するも2ランスクイズを決められ敗退という珍しい経験をしている。同年のドラフト5位で西鉄ライオンズから指名を受け、翌年のシーズンいっぱいクラレ岡山でプレーすることを条件に西鉄と合意し、1970年1971年はルーキーながら29試合に出場し、ジュニアオールスターにも選出される。翌1972年は、ロッテオリオンズに移籍した村上公康に代ってレギュラー捕手となるが、その後は宮寺勝利楠城徹と併用された。
1975年オフ、加藤博一と共に鈴木照雄五月女豊との交換トレードで阪神タイガースに移籍。ここでは田淵幸一若菜嘉晴らの控え捕手として重宝された。特に1977年には、185打数で10本塁打(うち、満塁本塁打2本)を放つなど、存在感のある控え選手であった。
1980年オフ、笠間雄二との交換トレードで阪急ブレーブスへ移籍。阪急では中沢伸二らの控えとして活躍し、1986年オフに現役を引退した。
引退後は広島東洋カープの二軍バツテリーコーチ(1987年 - 1991年1994年 - 1998年, 2001年 - 2003年)、一軍バツテリーコーチ(1992年 - 1993年, 1999年 - 2000年)を務め、西山秀二石原慶幸を育てるなど捕手層を厚くした。2004年から2005年にはJR九州硬式野球部のコーチを務め、2年連続で都市対抗に出場。
現在は生誕の地でもある広島で、MSH医療専門学校硬式野球部の監督を務めている。
2013年には初出場した全日本クラブ野球選手権大会でベスト4に入り、2014年にはJABA徳山大会で初優勝を飾る。また、同年のプロ野球ドラフト会議では松浦耕大が広島東洋カープの育成選手ドラフト1位指名を受けた。ポジションは現役時代の片岡と同じ捕手で、片岡がコーチとして長年在籍した広島に入団することとなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「片岡新之介」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.