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溝口直温 : ミニ英和和英辞書
溝口直温[みぞぐち なおあつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, みぞ]
 【名詞】 1. ditch 2. drain 3. gutter 4. gap 
: [くち]
 【名詞】 1. mouth 2. orifice 3. opening 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly

溝口直温 : ウィキペディア日本語版
溝口直温[みぞぐち なおあつ]

溝口 直温(みぞぐち なおあつ)は、越後国新発田藩の第7代藩主。第6代藩主溝口直治の養子で、一族の旗本溝口直道の四男。幼名は亀之助。通称は主膳。官位は従五位下。出雲守。
== 経歴 ==
享保元年(1716年)に生まれる。同17年(1732年)、直治の末期にあたって急養子となり、本家の家督を継ぐ。この折には同じく分家の旗本・逸見元長も養子の候補として挙がっていた。同年、元長に2000俵を加増したのは、そうした経緯への配慮とも考えられる。同年、従五位下出雲守に叙任する。
享保18年(1733年)江戸城堀浚いの手伝い普請を務める。同20年(1735年)には幕府領紫雲寺潟新田の検地を命じられ、翌元文元年(1736年)にはこの検地で打ち出された1万6850石余を幕府より預けられる。同3年(1738年)には小阿賀野川の普請を幕府より命じられる。同5年(1740年)、先代以来数度にわたって預けられて来た幕府領の預かり地、計8万3400石余を幕府に返上した。寛延元年(1748年)には神奈川宿において朝鮮使節の接待役を務める。宝暦4年(1754年)には52か村1万石余が幕府に上知され、代地として33か村が下される。同6年(1756年)にも15か村が上知され、代地として31か村が下された。
宝暦11年(1761年)、直温は病身を理由に家督を長男の直養に譲り、隠居した。安永9年9月4日(1780年10月1日)、65歳で死去した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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