翻訳と辞書
Words near each other
・ 源誉存応
・ 源語
・ 源語秘訣
・ 源語編次抄
・ 源護
・ 源豊宗
・ 源貞恒
・ 源貞暁
・ 源賀
・ 源資兼
源資子
・ 源資綱
・ 源資賢
・ 源資通
・ 源賴義
・ 源輔通
・ 源輝二
・ 源近善
・ 源通光
・ 源通具


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

源資子 : ミニ英和和英辞書
源資子[みなもと の しし]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなもと, げん]
 【名詞】 1. source 2. origin 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

源資子 : ウィキペディア日本語版
源資子[みなもと の しし]
源 資子(みなもと の しし、? - 応永元年7月15日1394年8月12日)?)は、南北朝時代室町時代の女性。崇光天皇の後宮で、栄仁親王興信法親王の母。父は庭田重資、母は不詳。名は庭田資子とも。
興国6年(1345年)4月に光明天皇に仕えて典侍となるが、後に退下。正平3年(1348年)12月に崇光天皇の後宮に入り、按察使典侍と称される。正平6年(1351年)5月に栄仁親王を出生したが、11月、正平一統により崇光天皇が廃位、翌年賀名生に連れ去られて、残された資子は苦難の日々を送った。正平12年(1357年)2月に崇光は還京を許されたが、子孫は皇位を諦めるように誓約させられ、栄仁親王は世襲親王家である伏見宮家の初代となった。翌年に興信法親王を出生。正平17年(1362年)11月に従三位に叙され、杉殿・三位局と称される。正平23年(1368年)10月、美濃国二木郷(現在の岐阜県大垣市)の地を安堵された。
後に落飾して、伏見の宝厳院(大光明寺塔頭)に住したらしい。死去を直接に伝える史料はないが、孫・伏見宮貞成親王の日記である『看聞日記』の応永25年(1418年7月13日条に「杉殿廿五年忌来十五日之間」とあるので、この年の7月15日が資子の25年忌に当たることが分かる。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「源資子」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.