翻訳と辞書
Words near each other
・ 湯田美由紀
・ 湯田豊
・ 湯田逸友
・ 湯田駅
・ 湯町深
・ 湯町駅
・ 湯畑
・ 湯疲れ
・ 湯登神事
・ 湯盛りうどん
湯目景康
・ 湯真藤子
・ 湯着
・ 湯礼紅
・ 湯神くんには友達がいない
・ 湯神君には友達がいない
・ 湯神社
・ 湯福神社
・ 湯種
・ 湯立


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

湯目景康 : ミニ英和和英辞書
湯目景康[ゆのめ かげやす]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ゆ]
 【名詞】 1. hot water 
: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)

湯目景康 : ウィキペディア日本語版
湯目景康[ゆのめ かげやす]

湯目 景康(ゆのめ かげやす)は、戦国時代から江戸時代前期の武将戦国大名伊達氏家臣。後に津田姓を与えられて津田景康と改名した。同名の孫(津田玄蕃景康)と区別するため津田豊前景康と表記される。
== 生涯 ==
永禄7年(1564年)、長井郡筑茂城主・湯目重康の子として生まれる。幼名は智喜力。湯目氏は長井郡の在地豪族で、南北朝時代に伊達氏が長井郡を攻略するとその家臣となった。
天正5年(1577年)に伊達政宗元服するとその側近となり、人取橋の戦い摺上原の戦い葛西大崎一揆鎮圧戦などに従軍。天正19年(1591年)、政宗が岩出山に転封されると栗原郡佐沼城主となり、1,500石を知行する。文禄4年(1595年)、政宗が秀次事件に関与したとして謹慎を命じられた際には、中島宗求と共に伏見の津田が原にて豊臣秀吉に直訴し、処分を解くことに成功した。この功により景康は1,000石を加増されるとともに、政宗から津田が原に因んで「津田」の姓を与えられ津田景康と改名した。
慶長5年(1600年)には奉行に任命され、慶長15年(1610年)に亘理郡坂元城主に異動となるが、元和2年(1616年)には大坂夏の陣での功により3,800石に加増されて再び佐沼城主となった。寛永13年(1636年)、政宗の跡を継いだ第2代藩主・忠宗により評定役に任命され、奉行職は嫡男・頼康が引き継いだ。
寛永15年(1638年)2月17日死去。享年75。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「湯目景康」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.