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清水由貴子 : ミニ英和和英辞書
清水由貴子[しみず ゆきこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

清水 : [せいすい, しみず]
 【名詞】 1. (1) spring water 2. (2) clear (pure) water
: [よし]
 【名詞】 1. reason 2. significance 3. cause 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

清水由貴子 : ウィキペディア日本語版
清水由貴子[しみず ゆきこ]

清水 由貴子(しみず ゆきこ、本名同じ、1959年9月7日 - 2009年4月20日)は、東京都出身の歌手女優タレントである。愛称は「ユッコ」。
== 来歴・人物 ==

=== 芸能界デビュー ===
1976年2月18日(放映は同年3月14日)、NTVのオーディション番組『スター誕生!』の第16回決戦大会でイルカの『なごり雪』を歌い、芸能プロダクション、レコード会社合わせて14社からスカウトのプラカードが上がる。同じこの決戦大会で合格し、のちにピンク・レディーとなる根本美鶴代増田恵子の二人組をおさえての最優秀賞(グランドチャンピオン)だった。当時の「スター誕生!」の審査員で、デビュー曲の作詞も手がけた阿久悠によれば、テレビ予選に合格した時点ですでに次の決戦大会の大本命として、各社スカウトマンから注目されていたという。
決戦大会後は日本テレビを交えた作戦会議が何度も開かれ、期待の新人として万全に万全を期す形で、合格から1年後の1977年3月1日に「お元気ですか」でCBS・ソニーから歌手デビュー。清水のキャッチフレーズは「ほほえみスイング まごころハミング」で、同じ1977年に女性アイドル歌手としてデビューを果たし、清水と仲の良かった榊原郁恵高田みづえと共に当時「フレッシュ3人娘」と呼ばれていた。
後に、ソニーのプロデューサー酒井政利は「私は新人は自分で探すという自負心があったため、本来は『スター誕生!』とは距離を置いていましたが、山口百恵と清水由貴子だけは手がけてみたいと思えた」と語っていた。〔“淳子超え”で、路線変更した百恵の「青い果実」 2013年1月11日 アサ芸プラス〕
また、当時の『スタ誕』の司会だった萩本欽一も「同情とは別の部分で、その執念を理解した。立っているだけで哀愁を感じさせ、この子が有名になることで幸せになるなら後押ししたいと思った。それは、百恵ちゃんと清水由貴子の2人だけだったね…」と述べている。〔 萩本欽一が初激白、百恵ちゃんが挨拶に来ない理由 2013年1月8日 アサ芸プラス〕
デビュー曲はスマッシュヒットとなり、当時盛んだった賞レースにおいても数多くの新人賞を獲得。しかし、「速報!日本レコード大賞」(TBS、1977年11月22日放送)の新人賞(5人枠)争いでは、清水健太郎高田みづえ狩人の順で新人賞受賞が確定する中、続く受賞者を決める上位2名での決選投票太川陽介に破れた後、最後の1枠を巡って榊原郁恵と再び決選投票となり、僅差で受賞を逃すこととなった。〔【追悼特集】さようなら、清水由貴子さん 2009年4月25日 昭和TVワンダーランド〕
翌年もシングルはコンスタントにリリースされていたが、これといったヒットには恵まれず、前述の通り、デビュー当初から気にかけてくれていた萩本欽一や、同じレコード会社ということで縁のあった杉良太郎の後押しもあって、次第に活躍の場をテレビドラマバラエティー番組に移していった。歌手としてはシングル10枚、アルバムを2枚リリース。1985年RCAレコードへ移籍し、単独名義では6年ぶりのシングル「いつか秋」が最後のリリースとなった。
萩本関連の番組に出演していることから「欽ちゃんファミリー」の1人として名前が挙げられることも多かった。また、80年代末から90年代前半にかけてオンエアされたヤクルトのCMでは、それまでのイメージとは違う気の強い母親役を演じ、トータルで十数本ものシリーズが制作された。本人の談によれば、このCMシリーズの中に登場した亀(息子役の幼稚園児のペット)がきっかけで、以後自分でも亀グッズの収集を趣味にしていたという。
90年代に入ると、情報番組のレポーターとしてのテレビ出演が増え、「徹子の部屋」に出演した際は、レポーターの仕事で得た知識が自分の家を買うときに非常に役に立ったと語っている。またこの時期、「噺家カミサン繁盛記」での主演、NHK朝の連続テレビ小説春よ、来い」のレギュラー、その他数多くの2時間ドラマにも出演。2000年には「フジテレビ、今世紀最後の昼ドラ」(制作は東海テレビ)と銘打った「幸福の明日」で、子供の取り違えに苦悩する主人公を演じ、女優としての幅を広げた。
以降は2度目となるNHK朝の連続テレビ小説「こころ」のレギュラーをはじめ、連続ドラマやシリーズドラマへのゲスト出演、映画「ランドセルゆれて」での主演等、中堅女優として順調な活躍ぶりを見せていた。が、そのさなかの2006年、「母親の介護も兼ねてゆっくりしたい」という本人の希望により、デビュー以来所属していた芸映から独立する。
後述の実妹の著書によれば、この時点での母親の容態は、白内障の手術がうまくいかず視力が低下していたことを除けば、少なくとも後に報道されたときのような深刻な状態ではなかったという。むしろ目標に向けて突っ走る性格の姉(既に自宅のローンを繰り上げ完済、父親の墓まで建て替えていた)が、仕事を辞めることで気持ちのハリを失うことの方を心配し、事実上の引退には内心反対だったものの、仕事面では相応のポジションを得てきていた頃だっただけに、人一倍責任感が強い姉の「事務所に迷惑はかけられない」という決心を前に、とうとう言い出せなかったと語っている。
事務所独立後は、長年レギュラーを務めていた山梨放送の情報バラエティー番組「ともちゃん家の5時」(1999年10月~2010年3月)のみを残し、それ以外の仕事は引き受けないというスタンスで芸能活動を続けていたが、2007年9月、番組のリニューアルに伴う降板をもって、芸能界から完全に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「清水由貴子」の詳細全文を読む




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