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江見水蔭 : ミニ英和和英辞書
江見水蔭[えみ すいいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, え, ごう]
 【名詞】 1. inlet 2. bay 
: [かげ]
 【名詞】 1. shade 2. shadow 3. other side

江見水蔭 : ウィキペディア日本語版
江見水蔭[えみ すいいん]

江見 水蔭(えみ すいいん、明治2年8月12日1869年9月17日) - 昭和9年(1934年11月3日)は、小説家翻案作家雑誌発行者紀行家冒険家。本名忠功(ただかつ)。岡山県岡山市生れ。
文学作品を皮切りに、通俗小説、推理小説、冒険小説探検記など多岐に渡る分野に作品を残し、硯友社江水社博文館など数々の出版社で雑誌の編集発行に関わった。代表作に小説『女房殺し』、『地底探検記』、随筆『自己中心明治文壇史』、翻案戯曲『正劇  室鷲郎』など。
== 生涯と作品 ==

===生い立ち===
江見忠功は岡山の一番町一番屋敷に生れた。父の鋭馬は水蔭が幼少の頃死去。1881年(明治14年)、叔父の水原久雄の勧めで軍人を志して上京したが、次第に文学に惹かれるようになり、15歳のときに軍人を諦める。明治18年、従兄の富田嘉則のもとに預けられ、東京英語学校に通いながら、杉浦重剛称好塾に入り同人誌『毎週雑誌』を発刊する。19歳の時に『毎週雑誌』に水蔭亭居士名義で掲載した韻文「賤のふせや」の上巻が、川那辺貞太郎の推薦で『日本文芸雑誌』に掲載され、下巻は1887年(明治20年)に『日本之女学』に掲載され、以後同誌に小説や新体詩を寄稿し、「桜かな」「驚く鷗」の連載がある。またこの頃、巌谷小波が塾に入り知り合うようになり、1888年に小波とともに尾崎紅葉を訪ねた。叔父も忠功が作家として活動することを認める。この頃また川上眉山石橋思案石橋忍月広津柳浪らを知った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「江見水蔭」の詳細全文を読む




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