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橘高文彦 : ミニ英和和英辞書
橘高文彦[きつたか ふみひこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たちばな]
 【名詞】 1. kind of citrus fruit 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
: [ぶん]
 【名詞】 1. sentence 

橘高文彦 : ウィキペディア日本語版
橘高文彦[きつたか ふみひこ]

橘高 文彦(きつたか ふみひこ、1965年12月27日 - )は、大阪府枚方市出身のギタリスト作曲家音楽プロデューサー
1984年ヘヴィメタルギタリストとしてデビューし以後様々なバンドを渡り歩く。現在加入し活動しているバンドは、筋肉少女帯X.Y.Z.→A大槻ケンヂと橘高文彦(ユニット)の3組である。
家族構成は妻と3人の男児の5人家族である。実兄の橘高正彦競技麻雀のプロ雀士である。
== 来歴 ==
1980年、中学2年生の3学期に上京。渋谷区立松濤中学校立教高等学校(現・立教新座高等学校)卒業。
1983年ヘヴィメタルバンドSLEAZY LUSTER(スリージー・ラスター)」結成。
1984年、バンド名を「AROUGE(アルージュ)」と改名し、ギタリストとしてメジャーデビューする。デビューアルバム「AROUGE ~暴逆の貴公子~」においてはギタリストとしてのみならずセルフプロデュースも行った。1986年、「AROUGE」解散。
1988年録音スタジオにてアルバイトしていた頃、「筋肉少女帯ボーカル大槻ケンヂから電話にて加入の誘いを受ける〔K&Bパブリッシャーズ 『筋肉少女帯自伝』P122〕。当時の筋肉少女帯はギタリスト加藤卓之の1988年ツアー途中での脱退後、横関敦が2ndアルバム発売後のツアー終了(1989年2月)までの期間限定契約でサポートとして参加しており、正規メンバーとしてのギタリストを探していた。
1989年、オーディションを経て筋肉少女帯に第22期メンバーとして加入。当初橘高文彦はピアニスト三柴理と共にプレイ出来ると思っていたが、彼のオーディションが行われた同日夜のミーティングにて三柴がツアー最終日での脱退を表明〔K&Bパブリッシャーズ 『筋肉少女帯自伝』P125-126〕。後に「三柴君と一緒にやれると思っていたら、彼が辞めちゃって」と語っている。その後在籍期間中は編曲と共にサウンドプローデュースも行い、バンドの発展に貢献する。
1994年、ソロ活動に際し、橘高、齋藤哲也、秦野猛行をキーメンバーとしたバンド「Euphoria(ユーフォリア)」を結成。ユニバーサルビクターよりアルバム1枚をリリースし、ライヴ活動も行った。
1999年、前年にドラマーの太田明が脱退をした事、リーダーの大槻ケンヂがメンバーの一新により新たな活動をしたい旨を告げた事などを受けて脱退を決意。5月17日、脱退を表明した。また「筋肉少女帯」から脱退する直前に二井原実和佐田達彦ファンキー末吉と共に、「X.Y.Z.→A」を結成。脱退後は「X.Y.Z.→A」に身を置き、こちらでもギタリスト、サウンドプローデューサーとして活動する。なお脱退後も大槻ケンヂらとは交流があり、大槻のバンド「特撮」とは対バンライブを行ったりもしている。(「イワンのばか」など筋肉少女帯時代の曲をセッションして披露している)
2005年、デビュー20周年を記念してソロプロジェクトを始動。記念アルバム「NEVER ENDING STORY」をリリース。このアルバムは橘高が過去及び現在までに在籍したバンドのボーカル二井原実大槻ケンヂなどがゲストとして顔を揃え、最後の曲「THANK YOU 」では自らボーカルを行った。
2006年、大槻ケンヂと共に「大槻ケンヂと橘高文彦」の名でユニットを結成し、シングル「踊る赤ちゃん人間」をリリース。レコーディングとその年の7月に行ったライブにて念願の三柴理と競演を果たした。またライブのゲストに筋肉少女帯メンバーの内田雄一郎と本城聡章が登場。筋肉少女帯再結成を宣言し、大槻ケンヂと共に再加入を果たす。なお「大槻ケンヂと橘高文彦」は当初期間限定のユニットかと思われたが、現在でもライブを開催したり、イベントなどに参加してはアンプラグド形式のライブを行っている。
2010年、デビュー25周年を記念して、記念アルバム「DREAM CASTLE ~BEST OF FUMIHIKO KITSUTAKA~」をリリース。このアルバムは橘高が過去及び現在までに在籍したバンド曲のベスト盤となっており、最後の曲「夢のあとさき」ではボーカル山田晃士AROUGE)、大槻ケンヂ筋肉少女帯)、二井原実X.Y.Z.→A)、tezya(Euphoria)などがゲストとして顔を揃え、自らもボーカルを行った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「橘高文彦」の詳細全文を読む




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