翻訳と辞書
Words near each other
・ 横浜隼人中学校・高等学校
・ 横浜隼人中学校高等学校
・ 横浜隼人高校
・ 横浜隼人高等学校
・ 横浜雙葉中学校
・ 横浜雙葉中学校・高等学校
・ 横浜雙葉学園
・ 横浜雙葉小学校
・ 横浜雙葉高等学校
・ 横浜電気鉄道
横浜電気鉄道株式会社
・ 横浜青葉
・ 横浜青葉IC
・ 横浜青葉インター
・ 横浜青葉インターチェンジ
・ 横浜青葉ジャンクション
・ 横浜音楽祭
・ 横浜音泉倶楽部
・ 横浜館
・ 横浜駅


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

横浜電気鉄道株式会社 : ミニ英和和英辞書
横浜電気鉄道株式会社[よこはまでんきてつどう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
電気 : [でんき]
 【名詞】 1. electricity 2. (electric) light 
: [げ, き]
  1. (suf) (uk) seeming 2. giving the appearance of 3. giving one the feeling of
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄道 : [てつどう]
 【名詞】 1. railroad 
: [かぶ]
 【名詞】 1. share 2. stock 3. stump (of tree) 
株式 : [かぶしき]
 【名詞】 1. stock (company) 
株式会社 : [かぶしきがいしゃ]
 【名詞】 1. public company 2. corporation 3. KK 4. formula for an incorporated public company 
: [しき]
  1. (n,n-suf) (1) equation 2. formula 3. expression 4. (2) ceremony 5. (3) style 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
会社 : [かいしゃ]
 【名詞】 1. company 2. corporation 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

横浜電気鉄道株式会社 ( リダイレクト:横浜電気鉄道 ) : ウィキペディア日本語版
横浜電気鉄道[よこはまでんきてつどう]
横浜電気鉄道株式会社(よこはまでんきてつどう)は、1904年(明治37年)から1921年(大正10年)まで神奈川県横浜市路面電車を運行していた民間企業。
横浜では1895年(明治28年)頃から路面電車の計画が具体化したが、4名の出願者が乱立し、さらに競合を恐れた人力車業界の反対もあり、申請は難航したという〔安田善次郎の鉄道事業 北山敏和の鉄道いまむかし〕。
1899年明治32年)9月、平沼延次郎(横浜の富豪、平沼専蔵の養子)ほか22名の申請に対し認可が下り、資本金100万円で横浜電気鉄道株式会社が設立された。設立にあたって、安田財閥創始者の安田善次郎を顧問に迎え、助言や資金援助を受けている。ただし、人力車業界との取り決めにより着工は認可の3年後とされたため、創立総会は1902年(明治35年)4月に行われた。
1904年(明治37年)7月15日、横浜市初の路面電車として営業を開始。当初路線は、青木橋(神奈川駅の西) - 大江橋(桜木町駅の南東)間を海岸沿いに結び、運賃は片道3日露戦争による通行税課税後は4銭)とされた。
路線は次第に拡大し、1911年(明治44年)には本牧線(西ノ橋 - 箕輪下(本牧半島東端の本牧原)が開通、翌年には八幡橋(根岸駅の西)〔チンチン電車の町だった 磯子区ホームページ〕まで延伸され、1914年大正3年)には弘明寺(弘明寺駅前)に達した。1913年(大正2年)開通の西戸部線は当初、戸部橋(高島町駅付近、戸部七丁目) - 日本橋(吉野町駅付近)間〔 - かつて市電が通った - 横浜にも下町があったんだ〕で本線と接続されていなかった〔横浜市内鉄道改良工事 神戸大学 新聞記事文庫〕。最終的に10路線に達し、路線延長は1919年(大正8年)時点で約20kmに及んだ。
業績は好調で増資を重ね、資本金は600万円に達した。ところが第一次世界大戦後の大正バブル崩壊(戦後恐慌)で、善次郎引退後の安田財閥と対立、資本引き上げを招いてしまう。さらに物価高騰や不動産事業の不調などにより経営が悪化し、1920年(大正9年)4月の運賃改訂申請(大幅値上げ)への新聞や市民の反発をきっかけに、市営化が検討されることとなる。
結局、翌年横浜市に688万円で全路線を売却し、会社は解散した。
== 脚注 ==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「横浜電気鉄道」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.