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横浜中華街 : ミニ英和和英辞書
横浜中華街[よこはまちゅうかがい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よこ]
 【名詞】 1. beside 2. side 3. width 
: [はま]
 【名詞】 1. beach 2. seashore 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
中華 : [ちゅうか]
 【名詞】 1. China 2. Middle Kingdom 
中華街 : [ちゅうかがい]
 (n) Chinatown
: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal
: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road

横浜中華街 : ウィキペディア日本語版
横浜中華街[よこはまちゅうかがい]

横浜中華街(よこはまちゅうかがい)は、神奈川県横浜市中区山下町一帯に所在するチャイナタウン(中華街)である。1955年以前は唐人町南京町と呼ばれていた。華僑の出身地は広東省が比較的多いが、中国各地に分散している。上海路、中山路、福建路など、地名を冠した路地が交差しており、各路地には、当該地の出身者が多い。所在地である中区の中国人人口は6000人を超える。これは同区で登録されている外国人の約4割にあたる。
約0.2平方キロのエリア内に500店以上の店舗があり、日本最大かつ東アジア最大の中華街となっている。1866年慶応2年)の横浜新田慰留地から数えると150年弱の歴史をもつことになる。日本では、神戸南京町長崎新地中華街とともに「三大中華街」とされる。
== 歴史 ==

=== 起源 ===


1859年安政6年)、横浜が開港すると外国人居留地(一種の租界)が造成され、欧米人とともに多数の中国人買弁(中国人商人や取引仲介者)や外国人外交官の雇い人が来住した。当初、彼らは香港や広東から来ていたため、広東省出身者が多かった。その後、横浜と上海、イギリスの植民地の香港の間に定期船航路が開設されると、中国人貿易商も来住し、居留地の一角(現在の山下町)に関帝廟、中華会館、中華学校などを建てていった。これが横浜中華街の原型である。
初期の埋め立て地「横浜新田」の海岸線沿いに建てられたため、この地域のみ区画が約45°ずれている〔『ブラタモリ』「横浜」(2009年12月17日放送)〕。この頃の商店は日用雑貨店、衣料品店、食料品店などの店が大半で、中華料理店は多くなかった。1872年明治5年)には、柳麺(''lau min''、ラウミン)の屋台が出始めていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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