翻訳と辞書
Words near each other
・ 権三と助十 かごや太平記
・ 権三助十
・ 権三助十 (曖昧さ回避)
・ 権三助十 天狗退治
・ 権三助十 捕物大騒動
・ 権三助十 鶴一番大当り
・ 権中将
・ 権中教正
・ 権中納言
・ 権中納言国信
権中納言定家
・ 権中納言定頼
・ 権中納言実材卿母
・ 権中納言敦忠
・ 権中納言長方
・ 権之助坂
・ 権五俊
・ 権五郎火
・ 権五郎神社
・ 権介


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

権中納言定家 : ミニ英和和英辞書
権中納言定家[けん, ごん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [げん]
 【名詞】 1. word 2. remark 3. statement 
: [いえ, け]
  1. (suf) house 2. family 

権中納言定家 ( リダイレクト:藤原定家 ) : ウィキペディア日本語版
藤原定家[ふじわら の さだいえ]

藤原 定家(ふじわら の さだいえ)は、鎌倉時代初期の公家歌人。諱は「ていか」と音読みされることが多い。小倉百人一首の撰者で権中納言定家を称する。

== 経歴 ==
藤原北家御子左流藤原俊成の二男。最終官位は正二位権中納言京極殿または京極中納言と呼ばれた。法名は明静(みょうじょう)。歌人の寂蓮は従兄、太政大臣西園寺公経は義弟にあたる。
平安時代末期から鎌倉時代初期という激動期を生き、御子左家の歌道における支配的地位を確立し、日本の代表的な歌道の宗匠として永く仰がれてきた歴史がある。
2つの勅撰集、『新古今和歌集』、『新勅撰和歌集』を撰進。ほかにも秀歌撰に『定家八代抄』がある。歌論書に『毎月抄』『近代秀歌』『詠歌大概』があり、本歌取りなどの技法や心と詞との関わりを論じている。家集に『拾遺愚草』がある。拾遺愚草は六家集のひとつに数えられる。
宇都宮頼綱に依頼され『小倉百人一首』を撰じた。定家自身の作で百人一首に収められているのは、「来ぬ人を まつほの浦の夕凪に 焼くや藻塩の 身もこがれつつ」である。
源氏物語』『土佐日記』などの古典の書写・注釈にも携わった(この際に用いた仮名遣いが定家仮名遣のもととなった)。また、『松浦宮物語』の作者は定家とする説が有力である。
18歳から74歳までの56年にわたる克明な日記『明月記』(平成12年(2000年)、国宝に指定)を残した〔明月記にはおうし座超新星爆発が起こったこと(現在のかに星雲)に関する記述があり、天文学上、重要な資料となっている。〕。このうち、建仁元年(1201年)に後鳥羽天皇熊野行幸随行時に記した部分を特に『熊野御幸記』(国宝)と呼ぶ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「藤原定家」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fujiwara no Teika 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.