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梅沢薫 : ミニ英和和英辞書
梅沢薫[うめざわ かおる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [さわ]
 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale 

梅沢薫 : ウィキペディア日本語版
梅沢薫[うめざわ かおる]

梅沢 薫(うめざわ かおる、1934年9月10日 - 1998年12月26日)は、日本の映画監督脚本家である〔キネ旬, p.69-70.〕〔永田, p.36.〕〔国立国会図書館サーチ 検索結果、国立国会図書館、2015年1月7日閲覧。〕〔''Kaoru Umezawa'', インターネット・ムービー・データベース 、2015年1月7日閲覧。〕〔''梅沢薫''・''東元薫''東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年1月7日閲覧。〕〔''梅沢薫''・''東元薫''・''黒木剛''文化庁、2015年1月7日閲覧。〕〔''梅沢薫''KINENOTE, 2015年1月7日閲覧。〕〔''梅沢薫''・''大泉大介 (誤記)''allcinema, 2015年1月7日閲覧。〕〔''梅沢薫''・''梅沢薫 (初期)''・''黒木剛''日本映画データベース、2015年1月7日閲覧。〕〔''梅沢薫''・''小泉大介''文化庁、2015年1月7日閲覧。〕〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2015年1月7日閲覧。〕。元俳優''梅沢薫''テレビドラマデータベース、2015年1月7日閲覧。〕。1966年(昭和41年) - 1979年(昭和54年)の一時期、東元 薫(とうもと かおる〔)と名のったことがある〔〔〔〔〔〔。その初期には東本 薫とクレジットされた作品もあり〔、1972年(昭和47年) - 1974年(昭和49年)の一時期黒木 剛(くろき ごう)の名で監督、小泉 大介(こいずみ だいすけ)の名で脚本を書いたこともある〔。
== 人物・来歴 ==

=== 演劇・テレビ映画の俳優から成人映画の監督へ ===
1934年(昭和9年)9月10日、新潟県高田市(現在の同県上越市)に生まれる〔〔〔。
長じて東京に移り早稲田大学に進学したが、中途退学する〔。当初は俳優を志しており、日本文化協会(NBK)という劇団に所属、同劇団には野上正義(1940年 - 2010年)らがいた〔ことの次第、あるいは事故のてんまつ 木全公彦マーメイドフィルム、2015年1月7日閲覧。〕。
満25歳のときの1960年(昭和35年)4月3日に放映された連続テレビ映画海底人8823』第14話『怪光線』や、同年に放映された連続テレビ映画『鉄人28号』等に出演した記録が残っている〔〔。1963年(昭和38年)にはタケダアワー隠密剣士』にも数回出演したが〔〔、同年、それらテレビ映画を手がけていた船床定男(1932年 - 1972年)の紹介で知り合った若松孝二(1936年 - 2012年)の誘いを受けて成人映画悪のもだえ』のチーフ助監督を務め、同作は同年12月31日に劇場公開された〔〔〔。以降、同作を製作・配給した日本シネマで、若松の『赤い犯行』や『乾いた肌』、新藤孝衛監督の『思春前期 恐るべき女子学生』等のチーフ助監督を務めた〔〔。1965年(昭和40年)6月に公開された『壁の中の秘事』(監督若松孝二、製作若松プロダクション、配給関東ムービー配給社)のチーフ助監督の後、同年9月に公開された『十代の呻吟』(製作・配給国映)を監督し、31歳で映画作家としてデビューする〔〔〔〔〔。監督デビュー後にも若松の『欲望の血がしたたる』(1965年)のチーフ助監督を務め、向井寛監督の『悪僧』および『艶夢』(1966年)の助監督を東本 薫の名で務めている〔〔〔〔。『日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期のおもな脚本家・監督として、若松孝二、高木丈夫(本木荘二郎の変名)、南部泰三小林悟新藤孝衛糸文弘小川欽也小森白山本晋也湯浅浪男宮口圭藤田潤一小倉泰美浅野辰雄渡辺護、片岡均(水野洽の変名)、福田晴一深田金之助の名を挙げているが、梅沢については言及されていない〔田中, p.85-86.〕。
1967年(昭和42年)3月14日に公開された『素肌の罠』を東元 薫の名で監督して以降、日映企画(のちの日映)配給作品を同名で手がける〔〔〔〔〔〔〔。1968年(昭和43年)2月に公開された『性の配当』は日本シネマの製作・配給作品であるが、同作を監督して以降、日本シネマでは「梅沢薫」、日映企画では「東元薫」と棲み分けをおこなった〔〔〔〔〔〔〔。1969年(昭和44年)1月に公開された『好色坊主四十八手斬り』(「東元薫」名義)は、勝新太郎そっくりさんとして知られる酒巻輝男を主演に『好色座頭市 四十八手斬り』として企画されたが、大映からのクレームを受けて改題した〔〔。同作が話題になったほか、1970年(昭和45年)5月に公開された『濡れ牡丹 五悪人暴行篇』では、日野洸こと大和屋竺の脚本を得て、港雄一山本昌平津崎公平里見孝二、そして大和屋竺が主演しており、元来の「強烈な作風」の延長線上において「悪と暴力のエスカレートを異常なまでのクールさと非情なタッチで追って梅沢の実力を不動のものとした」作品であると評価された〔。同年には「コソ泥と頭の弱い少女との交情を微笑ましく、うら悲しく描いた」というメロドラマ好色泥棒日記』を発表している〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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