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桂 花團治(かつら はなだんじ)は、上方落語の名跡。2015年4月、2代目桂春蝶の弟子である桂蝶六が3代目を襲名し、70年ぶりに名跡が復活した〔桂蝶六、70年ぶり花団治襲名! ざこば「私も『ざこ団治』に」 スポーツ報知 2015年4月27日閲覧〕。 ちなみに、2代目桂春蝶は生前に3代目花團治の襲名を持ちかけられたが、春團治の名跡に強い愛着を持っていたため、謝絶している。 == 初代 == 初代 桂花團治(1875年9月 - 1942年12月23日)は、本名: 梅本八十二郎(古今東西噺家紳士録では梅本八十二と記載されている。)。 大阪市中央区千年町生まれ。初め花丸を名乗り、素人とも玄人ともつかず端席巡りなどをしていたらしいが、1902年頃に2代目桂文團治(後の7代目桂文治)に実力を見出されて門下となり、初代花團治を名乗り一流の定席に出るようになる。 しかし、厳格な仕来りの残る名門定席は肌に合わなかったのか、それとも序列を大事にする一流の定席で居場所がなくなったのか、2年ほどで花丸に戻り反対派の二流の寄席や端席や巡業などに身を投じ真打で活躍した、しばらくして花團治に復し1912年には草創期の吉本興業入り。やがて吉本も大きくなり、関西の寄席をほとんど支配するようになると、そのまま高座を引退。後に5代目笑福亭松鶴に請われて「楽語荘」同人となり、「上方はなしを聴く会」で17年ぶりに高座に上がった。 『三枚起請』『立ち切れ線香』『辻占茶屋』など、主に茶屋噺を得意としていた。弟子には花柳(後の3代目笑福亭枝鶴)、2代目花團治らがいる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「桂花團治」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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