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栗本丹洲 : ミニ英和和英辞書
栗本丹洲[くり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くり]
 【名詞】 1. Japanese chestnut 2. castanea crenata 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [たん, に]
 【名詞】 1. red 2. red earth 

栗本丹洲 : ウィキペディア日本語版
栗本丹洲[くり]

栗本 丹洲(くりもと たんしゅう)は江戸時代後期の医師、本草学者江戸幕府奥医師栗本瑞見家4代目。製薬所掛、医学館講書。実父田村藍水の影響で本草学に通じ、数多くの図譜を残した。子孫に栗本鋤雲がいる。
== 生涯 ==
宝暦6年(1756年)7月27日、江戸神田紺屋町に本草学者田村藍水の次男として生まれた。幼名は新次郎。安永7年(1778年)7月14日または15日、奥医師栗本昌友の婿養子となり、元格と称した。
天明元年(1781年)8月6日将軍徳川家治御目見し、天明5年(1785年)12月15日奥医師見習となり、西城広敷で療治を行った〔。寛政元年(1789年)6月17日奥医師に進み、家治側室蓮光院を担当し、12月16日法眼に叙された〔。寛政3年(1791年)3月8日蓮光院が死去すると、4月27日寄合医師に降格したが、6月6日奥医師に復帰、14日家治養女種姫を担当した〔。寛政4年(1792年)4月19日奥医師〔、10月1日製薬所掛。
寛政5年(1793年)12月29日父昌友の家督を継ぎ、瑞見の号を襲名した。寛政6年(1794年)4月オランダ商館ヘイスベルト・ヘンミーが医師ベルンハルト・ケルレルを伴い江戸参府をした際、対談した。寛政6年(1794年)10月6日医学館講書となった。この頃より本草学に本格的に取り組み、虫類を採集して実写、分類を続け、文化8年(1811年)『千虫譜』を完成させた。
天保元年(1830年)1月16日法印に叙せられ、瑞仙院と号した。
文政6年3月19日(1823年4月26日)、江戸滞在中のシーボルトを訪れ、『蟹蝦類写真』『魚類写真』を贈ったが、これらは西欧に持ち帰られ、ウィレム・デ・ハーンは『』甲殻類編に記載した内31種を『蟹蝦類写真』に拠っている。
天保4年(1833年)6月5日高齢のため辞職、天保5年(1834年)3月25日病死し、菩提寺日宗寺に葬られた。墓石には「故法印薬品鑑定瑞仙院楽我居士」とある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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