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栃東大裕 : ミニ英和和英辞書
栃東大裕[とちあずま だいすけ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東大 : [とうだい]
 (n) (abbr) Tokyo University

栃東大裕 : ウィキペディア日本語版
栃東大裕[とちあずま だいすけ]

栃東 大裕(とちあずま だいすけ、1976年(昭和51年)11月9日 - )は、東京都足立区出身(出生地は東京都墨田区)で玉ノ井部屋所属の元大相撲力士。現在は年寄・14代玉ノ井。最高位は東大関、現役時代の体格は身長180cm、体重155kg。得意手は、おっつけハズ押し、叩き、いなし、右四つ、寄り、上手出し投げ。本名は志賀 太祐(しが だいすけ)、血液型はA型、星座蠍座趣味は若い頃はラジコン、大関昇進後はゴルフ。好物は肉野菜炒め。
==来歴==

===26連勝で各段優勝===
13代玉ノ井親方関脇栃東)の次男として、東京都墨田区に生まれる。小学生時代は野球に熱中し、原辰徳巨人)から贈られたサイン入りのグローブが当時の宝物であった。小学校6年生の時に相撲に転向し、明大中野中学校に進学して相撲部に入部した。
父には高校横綱になることを角界入りの条件にされ、明大中野高校3年生の時に見事高校横綱に輝き、高校在学中の1994年(平成6年)11月場所に父が師匠の玉ノ井部屋に入門して本名の志賀の四股名初土俵を踏んだ。序ノ口場所前の稽古で膝を痛め1995年(平成7年)1月場所は前半を休場したが、8日目の4番相撲から出場して残り4番を全勝してこの場所を4勝0敗3休とした。そこから快進撃が始まり、同年3月場所は序ノ口7戦全勝優勝、同年5月場所は序二段7戦全勝優勝、同年7月場所は三段目7戦全勝優勝、幕下に昇進した同年9月場所の1番相撲の白星まで26連勝を飾った。
この場所は3勝4敗に終わり入門以来初めて負け越したが、同年11月場所は7戦全勝で優勝、1996年(平成8年)1月場所では幕下3枚目で5勝2敗、同年3月場所では幕下2枚目で5勝2敗と好成績をおさめ、同年5月場所には初土俵からわずか所要8場所で十両に昇進するとともに、父の四股名でもあった栃東に改名した。十両でも同年5月場所は10勝5敗、同年7月場所は10勝5敗、同年9月場所は初日から10連勝と波にのり12勝3敗で十両優勝を果たし、同年11月場所には早くも新入幕を果たした。序ノ口から十両まで全段で優勝をしたのは、史上3人目であった。
入幕後は早くから「大関候補」として期待を集め、新入幕の11月場所では初日から5連勝をするなど10勝5敗(単独次点)の好成績をおさめて敢闘賞を受賞した。〔因みにこの場所の最高成績は11勝どまりであり、優勝者である武蔵丸に加えて同点者の曙、若乃花、貴ノ浪、魁皇の5人が該当する。また、この場所でもう1つ星を上積みすれば初代栃東と揃って親子で11勝4敗の優勝経験という極めて珍しい記録を達成する可能性も生まれた。〕翌1997年(平成9年)7月場所にはわずか入幕5場所で新三役に昇進して新小結で9勝6敗の成績を挙げ技能賞を獲得、同年9月場所は新関脇で10勝の2ケタを上げて連続技能賞を受賞した。いなしてから左右からのおっつけ、前廻しを引いてからの出し投げなど、その取り口はベテラン力士から若手らしく正面からぶつかってこないのでやり辛いと言われるほど技が多彩であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「栃東大裕」の詳細全文を読む




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