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林遠里 : ミニ英和和英辞書
林遠里[はやし えんり]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はやし]
 【名詞】 1. woods 2. forest 3. copse 4. thicket 
: [とお]
  1. (adj-no) distant 
: [り]
 【名詞】 1. ri (old measure) 2. 2. 44 miles 

林遠里 : ウィキペディア日本語版
林遠里[はやし えんり]
林遠里(はやし えんり、1831年3月8日天保2年1月24日(旧暦)) - 1906年明治39年1月30日)は、福岡県生まれの老農(篤農家)・農業技術指導者。私塾・興産社・勧農社の創始者としても知られる。
林遠里の考案した農法は、筑前農法または福岡農法と呼ばれ、寒水浸法、土囲い法、冬蒔き畑苗代法をその中核としながら、多労を旨とした集約的農業技術により土地生産性を高める一方で、抱持立犂を装備した牛馬耕を導入することによって耕耘作業を省力化し、労働生産性を高めるというものであった。この筑前農法は明治農法の中核的な農法として、全国に広まった。
林遠里の墓地は入部地域にあり、2005年には、林遠里100年際が行われ、当時の入部小学校の4年生(2クラス)が田植えに参加した。
朝日新聞社が人名辞典で遠里(えんり)を(おんり)と誤植したため、その誤った表記を踏襲する表記が時々みられるが、(えんり)が正しく、別の呼び方はしない。
==来歴・業績==

*1831年 福岡藩士・銃術指南役林直内の次男として早良郡烏飼村に生まれる。
*1865年 福岡藩・銃術指導方に任ぜられる。
*1868年 観光隊分隊司令官に任ぜられる。
*1869年 銃砲曹少属火薬製造担当に任ぜられ、那珂郡安徳村勤務となる。
*1870年 鋳砲方仕準拾五等となる。
*1871年 依願免職により藩職を辞し、早良郡重留村に帰農。
*1877年 農業試験の経験に基づき、『勧農新書』初版を発行。
*1879年 私塾・興産社を設立。
*1881年 第2回内国勧業博覧会への出展、第1回全国農談会出席、加筆の上で『勧農新書』再版を発行。
*1882年 農業指導のため長崎県へ出張巡回。
*1884年 石川県富山県で巡回演説。
*1885年 石川県・鳥取県新潟県で巡回演説。
*1886年 石川県・鳥取県・広島県山口県京都府で巡回演説。
*1887年 私塾・勧農社設立、山口県・広島県・島根県高知県・京都府・石川県・福井県で巡回演説。
*1888年 京都府・鳥取県・広島県・大阪府愛知県岐阜県で巡回演説。
*1889年 農商務省よりドイツハンブルク港商業博覧会での出品説明委員およびドイツ・フランスアメリカインドベトナムにおける農業視察を任ぜられ洋行。
*1890年 愛知県・宮城県福島県愛媛県で巡回演説。
*1891年 鳥取県・栃木県・福島県・岡山県・京都府・滋賀県香川県で巡回演説。
*1892年 香川県・愛知県・岐阜県で巡回演説。
*1894年 宮城県・富山県和歌山県で巡回演説。
*1895年 静岡県長野県青森県で巡回演説。
*1896年 岡山県で巡回演説。
*1897年1898年 香川県で巡回演説。
*1899年1901年 熊本県で巡回演説。
*1906年 気管支カタルにより死亡。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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