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松平清方 : ミニ英和和英辞書
松平清方[まつだいら きよかた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 

松平清方 : ウィキペディア日本語版
松平清方[まつだいら きよかた]
松平 清方(まつだいら きよかた、元禄10年1月9日1697年1月31日) - 享保9年1月24日1724年2月18日))は、上野国館林藩の世嗣。初代藩主松平清武の長男。正室は前田利直の娘(酒井忠真の養女)・須和。官位は従五位下靱負佐、内蔵頭。第3代将軍徳川家光の曾孫で甲府藩主・徳川綱重の孫。第6代将軍徳川家宣の甥。
甲府藩士・越智吉忠(松平清武の初名)の長男として生まれる。伯父・綱豊(のち家宣)が将軍家世子となったため、父の吉忠改め清宣(のち清武)も松平姓を与えられて幕臣となる。その後、宝永4年(1707年)に館林藩主となった。清方も同年、大叔父で第5代将軍の徳川綱吉に拝謁した。家宣が将軍職を継いだ後の正徳元年(1711年)には叙任している。しかし、享保9年(1724年)に家督を継ぐくとなく父に先立ち28歳で早世した。代わって、尾張徳川家支藩の高須藩から武雅が養子に迎えられて嫡子となり、同年に清武が没すると家督を継いだ。
正徳6年(1716年)に7代将軍・徳川家継が死去した時、父・清武は次期将軍候補に挙がったが、高齢かつ他家に養子に出ていることが理由で、支持を得ることができなかった。清方は年齢的には問題がなかったが、候補者にはならなかった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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