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東坊城秀長 : ミニ英和和英辞書
東坊城秀長[ひがしぼうじょう ひでなが]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
: [しろ]
 【名詞】 1. castle 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

東坊城秀長 : ウィキペディア日本語版
東坊城秀長[ひがしぼうじょう ひでなが]
東坊城 秀長(ひがしぼうじょう ひでなが、暦応元年/延元3年(1338年)-応永18年8月6日1411年8月25日)は、南北朝室町時代公卿東坊城長綱の子。彼の時代に弟の言長が「西坊城家」を起こしている(江戸時代に断絶)ため、秀長を東坊城家の祖とする考えがある。子に東坊城長遠一条経嗣室など。なお、一条兼良は彼の外孫にあたる。
== 経歴 ==
少納言大学頭文章博士などを経て康暦2年/天授6年(1380年)に後円融天皇侍読に任ぜられ、永徳3年/弘和3年(1383年)3月28日に従三位右大弁に任ぜられる。明徳2年/元中8年(1391年)12月24日に参議に任ぜられ(応永14年(1407年)3月5日まで在任)、翌年には北野長者となる。応永9年(1402年)に正二位に叙せられた。応永18年(1411年)に74歳で死去。
将軍足利義満からの信任が厚く、義満に『孟子』を講義するとともにテキストとして写本を進上したことが知られている〔『迎陽記』康暦2年4月8日・8月1日条〕。また、義満の子である足利義持義嗣義円らにも学問を教授し、「義嗣」の諱を撰した〔『教言卿記』応永15年2月27日条〕。日記に『迎陽記』があり、江戸時代に林鵞峰が『本朝通鑑』南北朝期の編纂を行った際には、『園太暦』と並んで参考文献として用いられた〔『国史館日録』寛文6年5月9日条〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東坊城秀長」の詳細全文を読む




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