翻訳と辞書
Words near each other
・ 東京石川島造船所
・ 東京砂利鉄道
・ 東京砂漠
・ 東京砥石
・ 東京砲兵工廠
・ 東京硝子
・ 東京磁気印刷
・ 東京社会保険事務局
・ 東京神学塾
・ 東京神学大学
東京神学社
・ 東京神栄証券
・ 東京神田5大学広報会議
・ 東京福住
・ 東京福祉バス
・ 東京福祉商経専門学校
・ 東京福祉大学
・ 東京福祉大学の人物一覧
・ 東京福祉大学短期大学部
・ 東京福祉専門学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

東京神学社 : ミニ英和和英辞書
東京神学社[とうきょうしんがくしゃ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東京 : [とうきょう]
 【名詞】 1. Tokyo (current capital of Japan) 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
神学 : [しんがく]
 【名詞】 1. theology 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

東京神学社 : ウィキペディア日本語版
東京神学社[とうきょうしんがくしゃ]
東京神学社(とうきょうしんがくしゃ)は日本基督教会の指導者植村正久が明治37年(1904年)に市ヶ谷教会で始めた神学校である。正式名称は東京神学社神学専門学校である。東京神学大学の前身の一つである。
植村正久は明治学院の教授であったが、南長老ミッション宣教師のサミュエル・フルトンと教科書問題のことで対立したことをきっかけに、明治36年に明治学院を辞任した。辞任の一年前より、植村の自宅で神学学習会を開いていた。そこには、内村の一番町教会の補助者であった外村義郎をはじめ数人の者が参加していた。20-30人くらいの出席者になったので、独立の神学校の設立を相談した。そこで、市ヶ谷薬王寺前町の市ヶ谷教会の会堂を借りて授業を始めた。その後、日本基督教会から承認された。
この神学校は「神学科」「婦人科」「神学倶楽部」という三つの部門に分かれていた。「神学科」は牧師養成のためのもので、「婦人科」は女性伝道師を養成するためのも、「神学倶楽部」は教師伝道者、平素神学に従事する者らの研究の場であった。
講義の課目は、宗教哲学、基督伝、耶蘇の時代、聖書釈義、旧約聖書緒論、「婦人科」は系統神学(組織神学)を加えた。教師は、宗教学、聖書釈義が植村正久で、耶蘇の時代が毛利官治、新約聖書総論が白井胤録であり、キリスト伝の大谷慮に千屋和、小倉鋭喜であった。その後、アメリカ留学から帰った柏井園が明治学院を辞して、東京神学社に転じた。
1907年(明治40年)に、クリスチャン実業家渡辺荘の寄付により、独自の校舎が建設された。1925年植村正久が急逝すると、高倉徳太郎が後継者になる。
1930年(昭和5年)に明治学院東北学院神学部と合併し日本神学校になった。戦後、1949年(昭和24年)に再編され東京神学大学が創設された。
== 参考文献 ==

*雨宮栄一『牧師植村正久』新教出版社、2009年



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東京神学社」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.