翻訳と辞書
Words near each other
・ 植村政勝
・ 植村政泰
・ 植村敏夫
・ 植村文楽軒
・ 植村新六郎
・ 植村昭三
・ 植村智子
・ 植村東彦
・ 植村栄治
・ 植村榮
植村正久
・ 植村正久とその時代
・ 植村正久と其の時代
・ 植村正朝
・ 植村氏
・ 植村氏明
・ 植村永孚
・ 植村泰一
・ 植村泰勝
・ 植村泰忠


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

植村正久 : ミニ英和和英辞書
植村正久[うえむら まさひさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 

植村正久 : ウィキペディア日本語版
植村正久[うえむら まさひさ]

植村 正久(うえむら まさひさ、1858年1月15日安政4年12月1日) - 1925年1月8日)は、日本の思想家キリスト教伝道者牧師神学者説教家。号は「謙堂」あるいは「桔梗生」など。日本のキリスト教教会の形成に大きな役割を果たした植村は田村直臣松村介石内村鑑三と共にキリスト教界の四村と呼ばれた。日本基督教会、日本のプロテスタントの指導者であり、後の日本のプロテスタントにも大きな影響を与え、全日本キリスト教会のプロテスタント教皇といわれた〔小塩力『高倉徳太郎伝』新教出版社〕。
== 生涯 ==

=== 初期 ===
徳川の1500石の旗本の家に生まれた。幼名は道太郎。大政奉還で没落し、立身出世を目指して英学を学ぶ。そこで、サミュエル・ロビンス・ブラウン宣教師ジェームス・バラ宣教師に師事した。16歳のときにバラより洗礼を受け、日本基督公会の教会員となる。
1871年に修文館に入学し、ブラウンや押川方義、井深梶之助らと会う。
1874年(明治7年)にS.R.ブラウンが創設した英学校(ブラウン塾)に入学した。〔『植村正久文集』209ページ、英学校は東京に移転し、東京一致神学校になる。〕
1877年(明治10年)、井深梶之助らと共に東京一致神学校の一期生になる。卒業後に、東京府下谷諌塀町開拓伝道を始める1887年に一番町教会堂(後の富士見町教会)を設立。生活費を稼ぐために翻訳の仕事をしたり、明治学院で神学を教えたりしながら牧会伝道に務める。1879年春23歳の時、横浜のフェリス女学院の研修中であった山内季野(山内量平の妹)に奥野昌綱を介して結婚を申し込み、即座に本人の快諾を得たが、彼女の実家はキリスト教信仰に無理解であった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「植村正久」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.