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村井敏邦 : ミニ英和和英辞書
村井敏邦[むらい としくに]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [ほう, くに]
 (n) country

村井敏邦 : ウィキペディア日本語版
村井敏邦[むらい としくに]

村井 敏邦(むらい としくに、1941年9月8日 - )は日本の法学者。専門は刑事法一橋大学名誉教授龍谷大学教授を経て、大阪学院大学法科大学院教授。弁護士2000年5月から2003年5月までは日本刑法学会理事長も務めた。
== 来歴・人物 ==
1941年大阪府大阪市北区浮田町生まれ。実家は商家。祖父は新派脚本家の間無声。
商売人の父の影響で一橋大学商学部に入学。ドイツ経営学を専攻。64年の卒業前、テレビで視た連続ドラマ『弁護士プレストン(The Defenders)』に魅せられ、社会的に虐げられている人のための弁護士を志望して1964年4月同大法学部に学士編入学。同年10月に旧司法試験に合格した。法学部を卒業した66年から2年間、司法修習を受け修了。一橋大学の学生時代は弓道部に所属しており、腕前も相当で、今も部に残る記録帳には「20射18中」などの記述が見られる。一橋大学では長年、同部顧問も務めた。司法修習同期に江田五月(元参議院議長)らがいた。
司法修習中に弁護士に「金もうけ優先」のにおいを感じたため、修習修了後に弁護士登録をせず、母校に助手として残り研究者の道へ入る。恩師は植松正。68年一橋大学助手。同大学専任講師、助教授、教授を経て、一橋大学名誉教授の称号を受ける。2000年4月から2011年3月まで龍谷大学法学部教授。現在大阪学院大学法科大学院教授。
研究では、特にDNA鑑定証拠能力の研究にとりくみ、1991年には、医学研究者らとともに日本DNA多型学会を中心メンバーとして創立した。2000年に最高裁でDNA鑑定の証拠能力が認められ無期懲役判決が確定したのち、2009年に行われたDNA再鑑定で犯人と被告人のDNAが一致しないとの鑑定結果が出され、再審開始決定がなされた足利事件については、当初からDNA鑑定の精度にばかり目がいくと事実を誤る危険性があるとの指摘を行っていた〔毎日新聞2009年7月31日〕。また法と心理学会設立にも中心メンバーとしてかかわり、2000年には龍谷大学大宮学舎で創立総会が開催された。
後藤昭(刑事訴訟法学者、一橋大学教授)などと同様、裁判員制度に積極的な評価をしており、同制度が開始された2009年の5月には弁護士登録をした。
妻は、リーガル・リサーチの専門家で國學院大学法科大学院准教授の村井のり子

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「村井敏邦」の詳細全文を読む




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