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足利事件 : ミニ英和和英辞書
足利事件[あしかがじけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あし]
 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg 
: [り]
 【名詞】 1. advantage 2. benefit 3. profit 4. interest 
: [こと]
 【名詞】 1. thing 2. matter 3. fact 4. circumstances 5. business 6. reason 7. experience 
事件 : [じけん]
 【名詞】 1. event 2. affair 3. incident 4. case 5. plot 6. trouble 7. scandal 
: [くだん, けん]
 【名詞】 1. matter 2. case 3. item 

足利事件 : ウィキペディア日本語版
足利事件[あしかがじけん]

足利事件(あしかがじけん)とは、1990年5月に発生した殺人事件。その後、誤認逮捕により冤罪被害事件となった。また真犯人が検挙されていない未解決事件でもある。
1990年5月12日日本栃木県足利市にあるパチンコ店の駐車場から女児が行方不明になり、翌朝、近くの渡良瀬川河川敷で遺体となって発見された。容疑者として菅家 利和(すがや としかず)が逮捕、起訴され、実刑が確定して服役していたが、遺留物のDNA型が彼のものと一致しないことが2009年5月の再鑑定により判明し、彼が無実だったことが明らかとなった。服役中だった菅家はただちに釈放され、その後の再審無罪が確定した。再審を日本弁護士連合会が支援していた。
当事件捜査に関する後年の調査報道などマスコミメディアがその事件捜査のあり方に注目し、調査報道の中で事件捜査初期に事件現場での真犯人目撃の情報を警察が把握していた事実や経緯も判明している。
当事件を含めて、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」とされている。
== 事件の経過 ==

=== 事件発覚から誤認逮捕まで ===
; 1990年5月12日
: 父親が足利市内のパチンコ店でパチンコをしている間に、同店駐車場から女児(当時4歳)が行方不明になる。被害者の女児は当時赤いスカートと白いシャツという服装であった。
; 1990年5月13日
: 女児の他殺体が、渡良瀬川の河川敷から発見される。犯人は逃走。
: 事件発生時の時間に現場付近の運動公園にいた多数の人物が、赤いスカートを履く被害者の女児を連れて歩く不審な男の姿を目撃しており、警察にも証言している。そのうち、日本テレビの番組が探し当て取材協力を要請した買い物途中の主婦、買い物途中の女性美術教師、ゴルフ練習をしていた男性などは、テレビ取材にも応じている。
: 事件後に情報提供を求むビラや報道で被害者の特徴が繰り返し報道され人の目に触れる機会が多かったことや、目撃した女児の服装が事件当時の夕方でも目立ちやすく印象に残りやすい赤いスカートであった事などから、目撃者の記憶に今でも鮮明に残っている。女性美術教師は近年になってもその時の光景をスケッチに描けるぐらいで、実際に当時警察でもスケッチを提示し、日本テレビの取材でも同じようなスケッチを提示している。(は、膨張色、進出色、警戒色であり、暗い場所でも視認されやすい色である)。
: ゴルフ練習をしていた男性は目撃した男について「マンガのルパンみたいだった」と話している。
: 実際にこの目撃証言を裏付けるようにこの不審な男と被害者の女児が歩いていった先の中州で被害者女児の遺体が発見されている。
: それに対し、菅家の自白(虚偽強要自白であったが)内容にあった、被害者女児を自転車の荷台に乗せて土手を下る菅家の姿を見た証言は存在しない。【参考 下野新聞、清水潔による事件の調査報道・キャンペーン記事等】
; 1990年5月 - 1991年12月
: 栃木県警察は当初は前述の目撃証言を元にした捜査を行っていたが、わずか数か月(1990年5月 - 12月ぐらいまで)でその方面の捜査を取りやめていることがわかっている。その取りやめの理由は不明。(ちなみに、目撃証言が存在していたことやそれに基づく捜査が行われていたことが初めて公にされたのは近年の清水潔の調査報道によるものである。)
: その後は、「独身男性で子供が好き」というプロファイリングに則り聞き込みなどの地取り捜査方針に切り替えている。その途上でプロファイリングに合致した菅家が浮かび身辺捜査を開始する。前科・前歴はなかった〔宇都宮地裁平成5年7月7日判決/刑集54巻6号670頁・判例タイムズ820号177頁〕。だが、そのプロファイリング自体が、即、犯罪性のある人物像に繋がるわけでもなく、それに合致しただけの菅家の単なる生活習慣も、即、不審人物視、不審行動に繋がりえない上、その情報提供者である住民の証言が菅家を明確に不審視する旨の証言だったのかどうかも不明。また、同じ時期により確実性の高い前科・前歴から数人の男の行動調査をしていた。【参考 下野新聞】
: 菅家は当時幼稚園バスの運転手をしていたが1991年始め頃に勤務先への刑事の聞き込みが原因で解雇され、逮捕される迄本人は無職だった。
; 1991年12月2日
: 同市内に住む菅家(当時44歳)を、猥褻目的誘拐殺人の容疑で逮捕。
: 逮捕の決め手は「女児の下着に付着していた体液のDNA型と菅家のDNA型とが一致した」こと。しかし、1991年の時点におけるDNA型鑑定の技術では、別人であっても1.2/1,000の確率でDNA型も血液型も一致する可能性があった〔2008年1月6日 日本テレビ「ACTION」より〕。
: 栃木県警察本部は、総勢180人余の捜査本部を設置して捜査をおこなっていた。
: 警察が任意同行を求めた理由とされる菅家のDNAサンプルは、先に菅家が指定ゴミ収集場に捨てたゴミ袋より収集した体液の付いたティッシュペーパーから検出したものである。その時のゴミ収集が菅家や市町村役所の環境保全課などのゴミ回収を担当する管轄部署への令状発行、許可などの履行を行った上での活動だったのかは不明。
: 菅家の父親は逮捕後まもなくショックで亡くなった。無実を信じていた母親も釈放の2年前に亡くなった。逮捕前々日の11月30日に栃木県足利市の実家で一緒に過ごしたのが最後となった。菅家は釈放後、「亡くなったと聞かされ、本当に胸が詰まった。事件が、家族も、自分の人生もばらばらにした」と語った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「足利事件」の詳細全文を読む




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