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村上一治 : ミニ英和和英辞書
村上一治[むらかみ かずはる]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [むら]
 【名詞】 1. village 
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [いち]
  1. (num) one 

村上一治 : ウィキペディア日本語版
村上一治[むらかみ かずはる]

村上 一治(むらかみ かずはる、1917年3月22日 - 1965年9月16日日本野球機構『日本プロ野球記録大百科 2004』(ベースボールマガジン社、2004年)1450頁。〕)は、愛知県出身の元プロ野球選手一塁手)。 南海軍に在籍した。
== 来歴・人物 ==

東邦商では4番バッターとして活躍。の第11回選抜中等学校野球大会では決勝の浪華商戦で延長10回裏に相手投手納家米吉からサヨナラ二塁打を打ち優勝。東邦商は甲子園初出場で初優勝を飾った。 東邦商を卒業後は法政大学野球部へと進んだ。大学でも主軸として活躍。プロ通算最多勝利監督の鶴岡一人は1学年先輩に当たる。
南海軍に入団。ルーキーながら5番一塁手として開幕レギュラーの座を掴むも、その後大きな実績を残すことは出来ずレギュラー定着にはいたらなかった。1942年シーズン初頭に応召され、一時はプロを離れるもに復帰。に引退後、からまでコーチを務めた〔別冊週刊ベースボール冬季号『さらば!南海ホークス』(ベースボールマガジン社、1988年)133 - 134頁。〕。
1965年9月16日に、48歳の若さで死去。
== 詳細情報 ==

=== 年度別打撃成績 ===

* 南海(南海軍)は、1944年途中に近畿日本(近畿日本軍)に、1946年にグレートリングに、1947年途中に南海(南海ホークス)に球団名を変更
=== 背番号 ===
*5 (1941年 - 1942年)
*26 (1949年 - 1955年)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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