翻訳と辞書
Words near each other
・ 李恩恵
・ 李恩成
・ 李恪
・ 李恪 (呉王)
・ 李恵
・ 李恵宗
・ 李恵敏
・ 李恵敬
・ 李恵践
・ 李恵踐
李悊
・ 李悝
・ 李惜児
・ 李惠天
・ 李惠踐
・ 李惲
・ 李愍
・ 李愛月
・ 李慈
・ 李慈銘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

李悊 : ミニ英和和英辞書
李悊[り, すもも]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [り, すもも]
 【名詞】 1. (Japanese) plum 2. prune 3. prunus salicina 

李悊 ( リダイレクト:李テツ (隋) ) : ウィキペディア日本語版
李テツ (隋)[り てつ]

李 悊(り てつ、生没年不詳)は、中国北周からにかけての武人。李哲とも書かれる。の高祖李淵の従兄に当たる。本貫隴西郡狄道県。
== 経歴 ==
北周の朔燕恒三州刺史・襄武県公の李蔚の子として生まれた。580年楊堅が北周の丞相となると、李悊は儀同の位を受けた。李悊の叔父の梁州刺史李璋が、北周の趙王宇文招とともに楊堅の殺害を謀り、李悊をその陰謀に誘った。李悊は兄の李安と相談し、ひそかに楊堅に報告した。まもなく李悊は上儀同の位を受け、黄台県男に封ぜられた。
581年、隋が建てられると、李悊は開府儀同三司・備身将軍に任ぜられ、順陽郡公に封ぜられた。兄の李安とともに禁衛をつかさどり、文帝(楊堅)の信頼も厚かった。601年、衛州刺史として出向した。後に事件に連座して官爵を剥奪され、嶺南に流される途中に病没した。唐が建てられると、済南王に追封された。
子に李瑋・李瑗があった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「李テツ (隋)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.