翻訳と辞書
Words near each other
・ 楊善諭
・ 楊嗣昌
・ 楊嘉マン
・ 楊嘉源
・ 楊嘉雯
・ 楊国剛
・ 楊国忠
・ 楊国鎮
・ 楊坪駅
・ 楊堂玉英
楊堅
・ 楊増新
・ 楊士海
・ 楊大六
・ 楊大将
・ 楊大眼
・ 楊夫人
・ 楊奇
・ 楊奉
・ 楊奥妃


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

楊堅 : ミニ英和和英辞書
楊堅[よう けん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [よう, やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim

楊堅 : ウィキペディア日本語版
楊堅[よう けん]

楊 堅(よう けん、541年7月21日 - 604年8月13日)は、中国の初代皇帝(在位:581年3月4日 - 604年8月13日)。小名は那羅延。文帝廟号は高祖。第2代皇帝煬帝の父。
== 出生 ==
楊堅は、北周大将軍楊忠呂氏の間に生まれた。楊氏漢民族後漢楊震の末裔を称し、弘農郡華陰県(現在の陝西省渭南市)を本貫とした。しかし、漢族出身ではなく北方異民族の普六茹氏の子孫〔アーサー・F・ライト『隋代史』(法律文化社)P64は、普六茹をモンゴル語の一種(楊)を意味する「ブルスカン」の転じたものとみる。姚薇元『北朝胡姓考(修訂本)』(中華書局2007年)P72-73は、楊氏(普六茹氏)は雁門茹氏、つまりは茹茹(蠕蠕、柔然)の後裔とみる。〕という説もある。
隋書』の「本紀」には、楊堅の誕生に関して以下の話を載せている。楊堅が生まれたのは、541年大統7年)6月13日、生まれた場所は、馮翊陝西省大茘県)の般若寺という仏寺であり、幼名は金剛力士をあらわす那羅延であったという。この時代熱心な仏教信者でなくとも、名前に仏教語を使用するのは一般的なことではあったが、楊堅の場合は乳母役を引き受けて養育したのは智仙という尼僧であったという。このような事から、楊堅は幼少の頃から仏教に親しみを持っていたものと考えられる。
また、初の護法僧法琳の『弁正論』によると、その般若寺は北周武帝廃仏によって廃毀されたが、楊堅は即位後の585年に出生地を懐かしみ、父母への追善供養の意味も込めて、その場所に後の日本の国分寺に相当する大興国寺を建立し、華麗な荘厳を施された堂塔伽藍を建立したと記している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「楊堅」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.