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杉山健 : ミニ英和和英辞書
杉山健[すぎやま]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [すぎ]
 【名詞】 1. Japanese cedar 2. cryptomeria japonica 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [けん]
 【名詞】 1. health 2. strength 3. stick-to-itiveness 

杉山健 ( リダイレクト:椙山拳一郎 ) : ウィキペディア日本語版
椙山拳一郎[すぎやま けんいちろう]

椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 - 2015年4月)は、日本の俳優である〔キネ旬, p.294.〕〔''Ken'ichirô Sugiyama''・''Ken Sugiyama'', インターネット・ムービー・データベース 、2015年3月20日閲覧。〕〔''椙山拳一郎''・''杉山健''・''杉山拳一郎''・''杉山建''(表記誤記)東京国立近代美術館フィルムセンター、2015年3月20日閲覧。〕〔''椙山拳一郎''・''杉山健''文化庁、2015年3月20日閲覧。〕〔''椙山拳一郎''・''杉山健''KINENOTE, 2015年3月20日閲覧。〕〔''椙山拳一郎''allcinema, 2015年3月20日閲覧。〕〔''杉山拳一郎''日本映画データベース、2015年3月20日閲覧。〕〔''椙山拳一郎''東映チャンネル、2015年3月20日閲覧。〕〔''椙山拳一郎''・''椙山挙一郎''(表記誤記)日活、2015年3月20日閲覧。〕。本名は杉山 健一郎(すぎやま けんいちろう)〔〔、初期芸名は杉山 健(すぎやま けん)、杉山 拳一郎(すぎやま けんいちろう)。「椙山挙一郎」〔〔60年代まぼろしの官能女優たち PART II ラピュタ阿佐ヶ谷、2015年3月20日閲覧。〕は誤り。
== 人物・来歴 ==

=== 新劇から映画界へ ===
1934年(昭和9年)3月10日、東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に生まれる〔〔。
1949年(昭和24年)4月、当時日本橋兜町にあり、戦後男女共学になった東京都立紅葉川高等学校に入学、1952年(昭和27年)3月、同校を卒業、同年4月に明治大学法学部に進学する〔。同学在学中は演劇活動を行っていたが、健康上の理由で満21歳になる1955年(昭和30年)に同学を中途退学した〔。その後、豊島区西池袋舞台芸術学院に入学、1959年(昭和34年)に同学院を卒業、俳優座スタジオ劇団同人会に入団する〔。1961年(昭和36年)には、河路博の劇団世代旗揚げに参加する〔〔劇団世代 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館、2015年3月20日閲覧。〕。同年、藤田進折原啓子が主演した『ひたすらの道』(監督大岩弘明)という独立系の映画に出演した記録が残っている〔年鑑, p.460.〕。
1963年(昭和38年)1月に公開された成人映画不貞母娘』(監督高木丈夫)に出演〔、同年2月24日に放映されたテレビ映画隠密剣士 第二部 忍法甲賀衆』第8回『忍法むささび落し』(監督船床定男田村正蔵)にゲスト出演した。当時の芸名は杉山 健である。劇団世代には、野上正義(1940年 - 2010年)が後輩におり〔野上, p.30-31.〕、『隠密剣士』には、劇団世代からのちに大映テレビのプロデューサーになる川口武夫も出演していた〔〔, 2015年3月20日閲覧。〕。同作には、野上が劇団世代以前に所属した劇団NBKにいた梅沢薫(1934年 - 1998年)、あるいは劇団七曜会伊海田弘(二階堂浩とも、1931年 - 1997年)も出演していた。
日本映画発達史』の田中純一郎は、同書のなかで黎明期の成人映画界のおもな出演者として、扇町京子橘桂子、城山路子(光岡早苗と同一人物)、内田高子香取環新高恵子松井康子西朱実朝日陽子火鳥こずえ華村明子森美沙湯川美沙、光岡早苗、路加奈子有川二郎里見孝二川部修詩佐伯秀男の名を挙げているが、椙山の名に触れていない〔田中, p.85-86.〕。椙山が出演した『不貞母娘』は、「高木丈夫」こと本木荘二郎が監督した成人映画の2作目であり〔年鑑, p.223.〕〔、2015年3月20日閲覧。〕、以降、切れ目なく独立系成人映画への出演を続けた黎明期以来の俳優である〔〔〔〔〔〔〔〔〔。1965年(昭和40年)11月に公開された『第三の情事』前後から椙山 拳一郎と改名した〔〔〔〔〔〔〔''第三の情事''葵映画、1965年11月、2015年3月20日閲覧。〕。同作以降、椙山は、西原儀一葵映画の常連俳優として、同社専属女優の香取環の相手役を数多く務めた。乱孝寿の回想によれば、新劇の道を歩んでいた女優であった乱を映画界に誘い、1967年(昭和42年)、新藤孝衛に紹介したのは、新劇界の先輩である椙山であったという〔鈴木, p.334.〕。
1971年(昭和46年)、当時「杉夕子」と名のって前年から『覗かれた痴女乱行』や『セクシー・プラン』、『浮気の四角関係』等の小川欽也の監督に出演していた〔大蔵映画黎明期プログラムリスト 、''PINK HOLIC'', トライワークス、2015年3月20日閲覧。〕同僚の女優、12歳下の杉佳代子(1946年 - )と結婚する〔〔キネ旬, p.368.〕。妻の杉は1975年(昭和50年)10月28日に公開された「小川卓寛」こと小川欽也の監督作『銀行2億円事件 性男と淫女たち』で杉佳代子として復帰するまで、専業主婦として椙山を支えた〔〔、2015年3月20日閲覧。〕。以降、業界の「おしどり夫婦」として知られ、共演作も多かった〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔〔。1970年代には保谷市(現在の西東京市ひばりが丘に居を構えた〔。椙山は、1982年(昭和57年)6月5日に公開された『TATTOO<刺青>あり』(監督高橋伴明)に出演、久々の一般映画出演であった〔〔〔〔〔〔。1985年(昭和60年)を最後に、椙山・杉夫妻ともに出演作が途絶える〔〔〔〔〔〔〔〔〔。1990年(平成2年)1月に公開された『痴漢電車 グット奥まで』(監督小川和久)が記録に残る最後の出演作であり、すでに俳優は引退している〔〔〔〔〔〔〔〔。
満77歳になった2011年(平成23年)6月19日には、特集上映「60年代まぼろしの官能女優たち PART II」のゲストとして、ラピュタ阿佐ヶ谷の舞台に立った〔。肺気腫の闘病中であった。
2015年(平成27年)4月死去〔『新潮45』 2015年10月号 鈴木義昭 80歳ピンク映画監督「至福の撮影現場」〕。81歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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