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札幌市円山球場 : ミニ英和和英辞書
札幌市円山球場[さっぽろし まるやまきゅうじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふだ]
 【名詞】 1. (1) token 2. label 3. (2) ticket 4. card 5. (3) charm 6. talisman 
: [し]
  1. (n-suf) city 
: [まる, えん]
 【名詞】 1. (1) Yen 2. money 3. (2) circle
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [たま, きゅう]
 【名詞】 1. globe 2. sphere 3. ball
球場 : [きゅうじょう]
 【名詞】 1. baseball stadium 
: [ば]
 【名詞】 1. place 2. field (physics) 

札幌市円山球場 : ウィキペディア日本語版
札幌市円山球場[さっぽろし まるやまきゅうじょう]

札幌市円山球場(さっぽろし まるやまきゅうじょう)は、北海道札幌市中央区宮ヶ丘の円山公園(円山総合運動場)内にある野球場。施設は札幌市が所有し、(財)さっぽろ健康スポーツ財団指定管理者として運営管理を行っている。
== 歴史 ==
札幌市内に最初に造られた野球場は、1918年大正7年)に開かれた北海道博覧会の跡地に造られたグラウンドである(のちの札幌市中島球場。中島公園を参照)。しかし、その設備はダッグアウトとバックネットを設けただけというごく簡素なものだった。
現在の円山球場は市街地西側の札幌神社(現北海道神宮)に程近い所に札幌神社外苑球場(さっぽろじんじゃがいえんきゅうじょう)として1934年昭和9年)夏に竣工。外苑球場では同年、第14回北海道樺太実業団野球大会が行われたが、8月19日の函館太洋倶楽部対札幌倶楽部戦の7回、太洋の監督兼捕手だった久慈次郎が捕手の牽制球を頭に受け、2日後の8月21日に帰らぬ人となった。
外苑球場は翌1935年(昭和10年)から市に移管し7月14日に開場。市史などではこの日を開場日としている。球場名も現名称の札幌市円山球場に改められた。翌1936年(昭和11年)から現在に至るまで高校野球大学野球社会人野球など道内のアマチュア野球公式戦が行われている他、プロ野球公式戦も数多く開催されている。戦時中はバックネットや金網などの金属製品が回収され、フィールドも畑や資材置場となった。戦後は再びアマやプロの試合が行われるようになり、1953年(昭和28年)10月21日には日米野球読売ジャイアンツ(巨人)対ニューヨーク・ジャイアンツ戦が開催された。開場当初は内外野とも土盛りスタンドで観客の収容能力が小さく、1972年(昭和47年)以前に開催されたプロ野球公式戦等ではスタンド上段にやぐらを組んで収容人員を確保したこともあった。現在では安全性の問題がある上に消防法にも抵触するため、こうした措置は行えない。
老朽化と狭隘化、さらに仮設席設置の安全上の問題に伴い全面改築され、1974年(昭和49年)6月に鉄筋コンクリート構造の内野スタンドが完成。道内では初の本格的な内野スタンドを有する野球場となった。同じく老朽化や狭隘化が進んでいた中島球場に代わって1977年(昭和52年)夏からは全国高等学校野球選手権南北海道大会のメイン球場となり、これにより円山球場はいよいよ市内や道内のメイン球場として本格的に使用されるようになった。なお中島球場は1980年(昭和55年)限りで閉鎖・撤去され、跡地はその後北海道立文学館の建設地となった。また同年、北区札幌市麻生球場が開場した。
スコアボード(パネル式)がバックスクリーン左側にある、日本国内では例の少ない球場だった。パネル式のボードは1975年パシフィック・リーグ指名打者制度を採用して以後、10人分の選手を表記する必要があったため、それまで常設されていた9人分のボードの下に差込枠を作って対応した。1990年代に入ってスコアボードの紙が燃えるボヤ騒ぎがあるなどし(発火の原因は不明)、1995年平成7年)5月にスコアボードはバックスクリーン上に移設して改築し、磁気反転式となった。1999年(平成11年)の改修では、バックネット前のウォーニングゾーンに人工芝の敷設などが行われた。
円山球場は25,000人の収容人員を有し、また道内の公営野球場ではこれまで最も多くのプロ及びアマの公式戦を開催しているが、照明設備は設置されていない。これは球場近くに札幌市円山動物園があり、動物の生活環境を阻害しないよう配慮するための措置である他、札幌市の冬季気候も設置されない原因とされている。このため、プロ野球公式戦は土・日2連戦での開催が主体だったが、2000年(平成12年)まで毎年行われていた巨人の主催公式戦は、火 - 木曜に2,3連戦をデーゲームで開催していた。1990年代から2000年代前半にかけて、他球場での巨人の主催試合が全てナイターとなった中でも、円山及び旭川市スタルヒン球場での試合は最後までデーゲームとして行われ、巨人主催公式戦では1990年代以後では年内で唯一〔雨天中止他の理由での追加日程によるものは除いて〕のデーゲームとなっていた。
2001年(平成13年)の札幌ドーム開場に伴い、2000年(平成12年)7月30日の日本ハムファイターズ vs 千葉ロッテマリーンズ戦を最後に円山球場での一軍公式戦開催は一旦終了した。その後、2005年(平成17年)には開場70周年を記念して北海道日本ハムファイターズ主催の公式戦が1試合開催され、2007年2009年にも日本ハム主催で1試合が行われている。詳細は後述。プロ公式戦が開催される機会は少なくなったものの、アマチュアでは現在も主要大会のメイン球場として使用されている。長きにわたって札幌市民や北海道民から「北の甲子園」あるいは「北の後楽園」として親しまれており、道内球界のメッカとなっている。なお、外野スタンドの左翼側上段にはアカマツの木が3本立っているが、その生い立ちや伐採されずスタンドに残されたままとなった理由などについては一切不明である。
1979年(昭和54年)9月30日にはサッカーのJSL東西対抗戦の復活第1回の会場になっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「札幌市円山球場」の詳細全文を読む




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