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本吉剛 : ミニ英和和英辞書
本吉剛[もとよし たけし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

本吉剛 : ウィキペディア日本語版
本吉剛[もとよし たけし]

本吉 剛(もとよし たけし、1967年7月26日 - )は、神奈川県横浜市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはディフェンダー(センターバック、ストッパー)。
==来歴==
鎌倉高等学校では、3年次に第64回全国高等学校サッカー選手権大会に出場。3回戦で同大会を制する清水商高に敗れたが、優秀選手に選出された。同期には堀孝史がいる。1986年に中央大学に進学。サッカー部に入部し、センターバックとして活躍。日本B代表にも選出され、AFCアジアカップ1988で2試合に出場した。
1990年日本サッカーリーグ2部・フジタ(現 湘南ベルマーレ)に入団。この年のフジタのリーグ最小失点に貢献し、ルーキーながらベストイレブンに選出された1991年三菱自動車(現 浦和レッドダイヤモンズ)に移籍し、三菱自動車でJSL1部16試合、浦和でJリーグ18試合に出場した。
1995年からはジャパンフットボールリーグ大塚製薬(現 徳島ヴォルティス)に加入し、DFリーダーとして守備を統率し堅守〔大塚は30戦で28失点。優勝した福岡ブルックスに次ぐ失点の少なさだった。詳しくは1995年のJFLを参照。〕を築いたが、同チームがJリーグ参入に消極的だったことなどから、1997年東京ガスFC(現FC東京)へ移籍。中央大学の先輩でセンターバックとしてコンビを組んだこともある大熊清監督の下で活躍した。
1998年シーズンを最後に現役を引退。ヘディングに強くハードな守備を持ち味としたセンターバックだったが、怪我がちで〔『サッカーマガジンベースボールマガジン社、1986年5月1日号 No.319、36ページ〕、同年受傷した前十字靭帯断裂及び半月板損傷によってJリーグ復帰はかなわなかった。
引退後は指導者の道に進み、FC東京で主に下部組織の指導に当たった。2003年にFC東京U-15監督としてクラブユース選手権に優勝。2006年はトップチームのコーチを務めた〔 FC東京 (2006年1月16日)〕。2007年からはFC東京U-18コーチを務め〔 FC東京 (2007年1月14日)〕、2010年にはFUJI XEROX SUPER CUP 2010 フレンドリーマッチ「U-18Jリーグ選抜 vs 日本高校サッカー選抜」のU-18Jリーグ選抜コーチに選出された〔【FUJI XEROX SUPER CUP 2010】フレンドリーマッチ U-18Jリーグ選抜 対 日本高校サッカー選抜 U-18Jリーグ選抜参加選手・スタッフ決定のお知らせ Jリーグ (2010年2月5日)〕。2012年よりFC東京U-18監督就任。ボールポゼッションを高めるスタイルの確立に粘り強く取り組んだ〔現状「50%」新生・F東京U-18は新スタイルに挑戦:東京都クラブユース(U-17)選手権 ゲキサカ (2012年2月5日)〕。2014年からは同クラブの普及マネジメントチーフとして統括及びコーチ育成を担当。
2015年、四国学院大学サッカー部監督に就任〔男子サッカー部監督にFC東京普及部・元Jリーガーの本吉剛氏が就任します 四国学院大学 (2015年01月30日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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