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末弘直方 : ミニ英和和英辞書
末弘直方[すえひろ なおかた]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
  1. (n-adv,n) the end of 2. powder 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 

末弘直方 : ウィキペディア日本語版
末弘直方[すえひろ なおかた]

末弘 直方(すえひろ なおかた、1848年1月30日(弘化4年12月25日)〔「末弘直方北海道函館区長就任ノ件」〕 - 1920年大正9年)〔『幕末維新大人名事典』下巻、674-675頁。〕)は、幕末薩摩藩士明治期の内務警察官僚。官選県知事函館区長小倉市長福岡県八幡市長。
==経歴==
薩摩国薩摩郡平佐郷平佐村(現薩摩川内市平佐町)〔で、薩摩藩士・末弘直温の三男として生まれる〔『新編日本の歴代知事』941頁。〕。藩校造士館で学んだ〔。
慶応3年9月10日1867年10月7日)、薩摩藩組頭に就任。その後、役人、半隊長を務めた。明治4年8月1871年)、御親兵の補充として上京し第三大隊一番小隊に編入され、明治5年8月10日1872年9月12日)、伍長に任官。1873年10月、病のため除隊して帰郷した。同年11月、鹿児島県に奉職し、二等教授第二十八郷校掛となる〔。
1874年8月、再度上京し警視庁四等巡査に任官。以後、一等巡査、警部補、兼千葉県十五等出仕、少警部、第一局詰、権中警部、二等中警部などを歴任〔。1877年1月、同郷の警視庁警部、中原尚雄たちと帰郷し、西郷隆盛らの動向を探索中に私学校党に捕えられ、西南戦争勃発の遠因となった〔『警視庁史 明治編』134頁。〕。その後、二等中警部、権大警部、二等警視補、一等警視補、四等警視兼一等警察使を歴任し、1883年2月、警視庁を退職した〔。
1883年5月、再び鹿児島県に奉職し、菱刈姶良桑原囎唹郡長に就任。その後、高城出水伊佐薩摩甑島郡長、谿山北大隅郡長などを歴任〔。
1889年3月、再び警視庁に転じ三等警視となる。以後、小石川警察署長、小石川町警察署長、第五第六方面監督、二等警視、宮城県警部長、警視庁警視・巡査本部長、同第二部長、同第一部長などを歴任〔。
1897年4月、高知県知事に就任〔。1898年7月、岩手県知事に転任。岩手県農学校を開校するなど学校の整備に尽力〔『新編日本の歴代知事』121頁。〕。1900年4月、知事を休職〔『官報』第5044号、明治33年4月28日。〕。同年10月、香川県知事に就任〔『新編日本の歴代知事』894頁。〕。1902年2月に知事を休職となった〔『官報』第5578号、明治35年2月10日。〕。
その後、函館区長〔『函館市史 通説編 第3巻』33-35頁。〕(1903年9月 - 1904年9月)、小倉市長(1906年5月〔『官報』第6871号、明治39年5月28日。〕 - 1912年5月〔「従四位竜岡信熊福岡県小倉市長就任ノ件」〕)を歴任。1914年10月、福岡県遠賀郡八幡町長に就任〔『北九州市史 近代・現代 行政・社会』311頁。〕。同町が市制施行し、1917年7月、初代市長に就任し〔『官報』第1491号、大正6年7月20日。〕、1918年9月に辞任した〔「堀口助治福岡県八幡市長就任ノ件」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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