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木山惟久 : ミニ英和和英辞書
木山惟久[き]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [これ]
 (int,n) (uk) this

木山惟久 ( リダイレクト:木山紹宅 ) : ウィキペディア日本語版
木山紹宅[きやま じょうたく]

木山 紹宅(きやま じょうたく)は、戦国時代の武将。実名は惟久(これひさ)といい、肥後国益城郡木山城主。連歌師として著名。
== 生涯 ==
清和源氏新田氏の後裔を名乗る国人領主で、九州下向後は阿蘇氏の傘下勢力として、木山城および赤井城を拠点に肥後国益城郡木山一帯を治めた。のち子の木山信連(紹印)に家督を譲り、自身は上洛して当代随一の連歌師・里村紹巴の高弟となった。その後は京都に滞在したとも帰郷したともされるが、天正13年9月19日1585年木山神宮例祭の日、北進する南九州の大名・島津義久軍の攻撃に曝され木山城は落城した。
豊臣秀吉による九州平定後、豊前国を拝領した黒田孝高(官兵衛)に客分として招かれた。これ以降、孝高はたびたび連歌会に参加しており、紹宅は連歌の師として遇された。天正18年(1590年)に中津で開催された連歌会では、孝高・長政父子に続いて3人目として歌を詠んでいる。
慶長2年(1597年慶長の役が起こると、黒田家にも朝鮮への出陣の命が下り、孝高および家督を継いでいた長政が出兵した。豊前中津には孝高の次男・熊之助が残っていたが、後に熊之助自身も朝鮮へ渡海しようとした。紹宅はそれに従って共に海を渡ったが、その途上海難事故に遭い、熊之助ら共々死亡した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「木山紹宅」の詳細全文を読む




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