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最上義秋 : ミニ英和和英辞書
最上義秋[もがみ よしあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さい]
  1. (n,pref) the most 2. the extreme
最上 : [もがみ]
 (adj-na,n) best
: [じょう]
 (n,pref,suf) 1. first volume 2. superior quality 3. governmental 4. imperial 5. top 6. best 7. high class 8. going up 9. presenting 10. showing 1 1. aboard a ship or vehicle 12. from the standpoint of 13. as a matter of (fact) 13. superior
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 

最上義秋 : ウィキペディア日本語版
最上義秋[もがみ よしあき]

最上 義秋(もがみ よしあき)は室町時代中期から戦国時代出羽国の武将・大名で山形城主。最上氏第6代当主で守護大名に準ずる立場であり、羽州探題と思われる。
== 生涯 ==
当時の出羽国、特に最上氏については不明な点が多く、未だ研究中の段階である。義秋は生年が不明であるだけでなく、その父も不明である。4代当主満家の三男とする説と5代当主義春の嫡男とする説がある。前者の三男とすれば兄に頼宗・義春がいたことになる。名の「義」の字は足利将軍家から賜ったものと考えられるが、どの将軍によるものかは不明。文明6年(1474年)、応仁・文明の乱の最中に先代の義春の死去により家督を継ぐ。応仁・文明の乱の一因として斯波義廉斯波義敏の争いがあり、同族である最上氏は何らかの形で関与したと思われるが、その形跡はない。家督相続の6年後に死去した。弟(または息子)の義総成沢氏に、義旦杉山氏にそれぞれ分封された。本来はこのどちらかが家督を継ぐべきであったが、何故か中野満基の子の満氏が家督を継いだ。満家の嫡男・頼宗の死と並び、何らかの政変があったとも考えられている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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