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日本在来馬 : ミニ英和和英辞書
日本在来馬[にほんざいらいば]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [らい]
 【名詞】 1. since (last month) 2. for (10 days) 3. next (year) 
: [うま]
 【名詞】 1. (1) horse 2. (2) promoted bishop (shogi) 

日本在来馬 : ウィキペディア日本語版
日本在来馬[にほんざいらいば]

日本在来馬(にほんざいらいば)は、日本在来馬、すなわち、洋種馬等の外来の馬種とほとんど交雑することなく残ってきた日本固有の、及び、その馬種の総称である。
略して単に在来馬と言うことも多く、また、和種馬在来和種(馬)とも呼ばれる。また、その馬種を日本在来種日本在来馬種、その馬を日本在来種馬と言うこともある。
現存のものは8種に分かれるが、その多くは個体数がたいへん少なく、絶滅が危ぶまれている。(日本)在来家畜の1つである。
== 歴史的経緯 ==

日本在来馬の原郷は、モンゴル高原であるとされる。現存する東アジア在来馬について、血液蛋白を指標とする遺伝学的解析を行った野沢謙によれば、日本在来馬の起源は、古墳時代に家畜馬として、モンゴルから朝鮮半島を経由して九州に導入された体高(地面からき甲までの高さ)130cm程の蒙古系馬にあるという。また、古墳時代には馬骨馬歯馬具が考古遺跡から出土しており、日本在来馬の存在が確認される。
古墳時代では小形馬が主流であり、一部中形馬が存在し、奈良時代になると平城京を中心に中形馬が増加するが、小形馬も地方を中心に依然として残る分布状況であったとみられる〔松井章 『動物遺存体から見た馬の起源と普及』(『日本馬具大鑑 一』所収、40頁、1992年)〕(したがって、古代では近畿圏の方が馬の体格は大きい〔文献上では、『続日本紀霊亀2年(716年)6月7日条に、新羅国の丈五尺五寸(165センチ)の紫の驃馬(ひょうば・強い馬)2匹を献上した記述があり、事実とすれば、国内にも大形馬が極々一部渡来していた事になり、中央に集中していた事にもなる。〕)。
日本書紀欽明天皇15年(554年)、百済が朝廷と会談して、援軍千人、馬百匹、船四十隻派遣の約束をした記事があり、6世紀中頃にもなると、日本が馬を軍事的に海外へ輸出する状況もあった。16世紀琉球王国の場合、商人が中国に対して琉球産の馬や貝を出しており〔『Story 日本の歴史 古代・中世・近世史編』 日本史教育研究会 山川出版社 2001年 ISBN 4-634-01640-0 p.137〕、自国の馬が特産品であるとの自覚がこの頃には形成されていた事がわかる。これは本土が馬を軍事品・武備と認知していたのとは対照的といえる(琉球人にとっては馬も商品となっていた)。
一方北海道では、松前を訪れた宣教師の記録により17世紀初頭には和人地で馬が用いられていたことがわかる。ただし蝦夷地に馬が渡来した時期は遅く、18世紀末頃と考えられている〔『東北学 vol.7』 作品社 2002年 ISBN 4-87893-513-8 p.120〕。この時期、多くの近江商人が東蝦夷地に入って来たため、アイヌ語の「ウンマ(馬)」は関西系のアクセントの影響があると(言語学者の中川裕に)指摘されている
明治以降、特に日清日露戦争の後に、日本の馬匹改良は、国策としての軍馬増強に主眼が置かれ、馬格の大きい洋種馬との交配による大型化が行われた。まず明治34年(1901年)の「馬匹去勢法」によって、種牡馬及び将来の種牡馬候補以外の牡馬は全て去勢することが定められ、ついで日露戦争後の内閣馬政局の設置(明治39年(1906年))、さらには昭和14年(1939年)の「種馬統制法」によって、これがさらに強化徹底された。この大規模な「改良」の結果、多くの地方では短期間の内に純粋な在来馬が消滅するに至った。
しかしそのかたわら、離島や岬の先端など、主として交通が不便な一部地域には、外国産馬(洋種馬)の血がほとんど入らず、かつての姿をよくとどめる馬群が、細々とではあるが残された。そのような馬群8種を、日本馬事協会が「日本在来馬」として認定し、現在まで保護にあたっている。これらのほかにも農耕馬が使われている地域は存在するが、いずれもある程度洋種馬と混雑しており、純血種に近いものはこの8種のみであると考えられる。
8つの馬種は品種であり、遺伝子的には地域個体群程度の差しかないが、それぞれに特徴があり、体形が異なる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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