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日本ブラストマシン : ミニ英和和英辞書
日本ブラストマシン[にっぽんぶらすとましん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

日本ブラストマシン : ウィキペディア日本語版
日本ブラストマシン[にっぽんぶらすとましん]
日本ブラストマシン株式会社(にっぽんぶらすとましん)は、かつて存在した、日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)系列の中堅機械メーカー。ショット・ブラストショットピーニング機器の開発・製造を初めて日本で行ったパイオニア。ブラストマシンの分野では最大手。国内トップシェアメーカーであった。本社は東京都台東区、工場は千葉県流山市にあった。事業は現在、JFEメカニカル株式会社に継承されている。
== 沿革 ==
昭和8年(1933年)に、後の野田市戸辺織太郎が千葉県流山市に創業したグリット商会を起源とし、のち同社は鋳機メーカー日本鋳工株式会社となる。戦時中、溶鉱炉を建設し、旧制成蹊高校の初代の地質学教授、満州国地質調査所長を歴任し、日本学術振興会の委員だった福田連理学博士を技監に招聘。当時、日本ではまだ開発・製造が行われていなかったブラストマシン・ピーニングマシンの国産化に取り組んだ。業績は好調であったが、同社経理部の手違いによって昭和32年(1957年)、黒字倒産の憂き目を見る。その後、幹部社員が中心となって昭和33年(1958年)日本金属粉末株式会社として再建を果たす。この倒産・再建の過程で、旧・日本鋳工は分裂し、日本金属粉末の他、労働組合が中心となって新日本鋳工株式会社、一部社員が中心になって不二鋳工株式会社が設立されている。
会社再建後、業績は好調、拡大するも、海外進出を目指しより安定した経営基盤を確立するため、昭和40年(1965年)、当時の日本鋼管に資本参加を要請。要請を受けた日本鋼管では、同社重工造船部門の幹部技師で、生産管理品質管理の専門家であった石井利雄を常務取締役(のち専務)として派遣。石井の指導のもとで経営改革を断行し、町工場体質からの脱却を進めた。翌昭和41年(1966年)に日本鋼管が正式に資本参加。同社から永田一郎が社長として派遣され、名実ともに、日本鋼管の重工・造船部門の有力な事業会社となった。その後、昭和46年(1971年)日本ブラストマシン株式会社に社名変更。順調に発展を続けた。昭和63年(1988年)には、日本鋼管のグループ会社再編に伴い、工場を広島県福山市に移転させ、福山共同機工株式会社に統合した。福山共同機工は、その後、鋼管機械工業株式会社と合併し、メンテック機工株式会社と改称。親会社の日本鋼管と川崎製鉄の統合に伴い、平成16年(2004年)、川鉄マシナリー株式会社と再統合し、JFEメカニカル株式会社となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日本ブラストマシン」の詳細全文を読む




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