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日本オートサンダル自動車 : ミニ英和和英辞書
日本オートサンダル自動車[にほんおーとさんだるじどうしゃ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [にち, ひ]
  1. (n-adv,n-t) sun 2. sunshine 3. day 
日本 : [にっぽん, にほん]
 【名詞】 1. Japan 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
自動 : [じどう]
  1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion 
自動車 : [じどうしゃ]
 【名詞】 1. automobile 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 

日本オートサンダル自動車 : ウィキペディア日本語版
日本オートサンダル自動車[にほんおーとさんだるじどうしゃ]

日本オートサンダル自動車(にほんオートサンダルじどうしゃ)とは1952年から1954年までの短期間に存在していた零細自動車メーカーである。本拠地を名古屋市に置いていた。
日本で初めて軽自動車規格の4輪車を製造したメーカーであるが、商業的には失敗に終わり、短期間活動するに留まった。
== オートサンダル ==
名古屋市在住の中野嘉四郎は、太平洋戦争以前の1931年から、名古屋市で個人企業「ヂャイアントナカノモーター」を経営し、オート三輪トラック「ヂャイアント号」を開発・製造していた人物であった。
ヂャイアント号は1937年に帝国精機産業に製造移管(翌年同社が帝国製鋲に社名変更)、さらに戦後、愛知航空機の後身である新愛知起業→愛知機械工業に生産移管した。
彼が戦後の1951年、自らの経営する中野自動車工業で開発・発売したのが、リアエンジン・リアドライブ2人乗りの「オートサンダル」であった。当時、戦後に日本にも出現したスクーターが「走る椅子」として世間に喧伝されていた向こうを張って、「走るサンダル」というべき軽便さを売りにした生活感溢れるネーミングである。
1951年に完成したオートサンダル試作車は、ボンネットおよびリアのエンジンフードが全体に円弧を描いた、おもちゃじみたスタイルで、デザイン以前のデザインと言うべきものであった。翌1952年から市販を開始したモデルは、ボンネットのフロントノーズを高くし、ダミーグリルを与えるなどのリデザインで、いくぶん自動車らしい形態を備えるようになっていた(ただしハンドメイドのため個体の仕様違いが多かったようで、写真のFS型実車はボンネット蓋を持たない、試作車に近い形状である)。ボンネット高の嵩上げは、フロントのトランクスペース確保のための策でもあった。
エンジンは、旧・三菱重工系の中日本重工業が定置動力・農業用などの汎用として製造した「セントラルコミパワーCE30」(空冷4ストローク・サイドバルブ単気筒348cc 5PS/2,700rpm 「メイキ」エンジンとも)を搭載した。二輪車では社外製エンジンをアッセンブリー式に搭載することが当たり前であった当時、三菱製エンジン搭載はむしろステータスと考えられていたようで、カタログにも堂々と「強力なエンジン」として紹介されていた。セルフスターターが無く、運転席側外板から露出したキックスターター始動であった。
変速機は当初、円盤2枚を組み合わせた原始的無段変速機フリクションドライブ式だった。構造は簡単だが変速機内における摩擦・空転のロスが避けられないシステムで、効率には難があったと見られる。フリクションドライブ車「FS型」はカタログスペックで車重390kg、最高速度45km/hとされた。全長2280mm、ホイールベース1430mmであるが、全長についてはハンドメイドボディの形状によって多少の差異があったものと見られる。
このフリクションドライブ仕様車はエンジン搭載位置が後車軸より前方にあるミッドシップ・レイアウトだったことが挙げられる。当時の日本にはそのような自動車用語が無く、またこのようなレイアウトがオートサンダルのような超小型車においてそもそも有利であったのかも不明である。操縦性を考慮した自覚的な配置と言うより、フリクション変速機の構造的制約(かさばってスペースを取る)によるやむを得ないレイアウトだった。
オートサンダルはFS型・FN型とも前後輪を単純な縦置き半楕円リーフスプリングで支持していたことがカタログ側面図からわかるが、懸架方式について言及・検証した文献は見られない。非駆動輪の前輪は固定軸とみられるものの、後輪については独立懸架もしくはドディオンアクスルであった可能性もある。FS型の駆動系は、出力側フリクションディスクから左横方向にシャフトを引き出し、スプロケットを介してチェーンで前方のディファレンシャル・ギアに動力を伝達する構造で、そこからハーフシャフトが出ており、ジョイントを介して後輪を駆動している(右シャフトはフリクションディスクユニットの真下を通る)。この場合、リーフスプリングとは別にトレーリングもしくはリーディングアームを設けて左右の後車輪を位置決めするなら独立懸架にできたが、むしろ縦置きリーフばねのみで駆動シャフトとは別の車軸を支持するドディオンアクスルの方が技術的に容易である。
続いて手動2速変速機仕様「FN型」が追加された。こちらはホイールベースをそのまま、シャーシを前後オーバーハングで合計110mm延長、座席位置を後車軸寄りにずらし、エンジン搭載位置を車体後端とした一般的リアエンジン式で、車重は407kgに増えたが最高速度50km/hに向上した(もっともこの最高速度もあくまでカタログスペックである)。
FS、FNは併売されていた模様で、実際にそうであれば日本初の「同シリーズ車におけるマニュアル車とオートマチック車(セミ・オートマチック車)の併売」であったことにもなる。1953年型からは手動変速機を3速化したとされるが、現存する唯一のFN型は1952年式ながら3速式で、これまた少量生産ゆえの仕様ぶれと言える。
当時のカタログには、リッターあたり25kmという経済性、取扱・修繕容易という特徴に加え、「200kg積載」「箱根鈴鹿を楽々と越える」という楽天的な売り文句が掲載されていた――驚異的な高性能ミニカーである、本当にそのとおりならばだが――空車でオートサンダルとほぼ同程度の車重(385kg)があり、エンジン出力は3倍の16PSあった1958年のスバル・360ですら、急勾配をオーバーヒートなしに登坂できるまでには多くの困難があったことを考えると、果たしてどれほど信頼に値する惹句であったかは甚だしく疑問が残る。
またカタログには様々な派生車種が掲載された。基本型の2座オープンである「ロードスター・ロリー」のほか、「ピックアップ」「トラック」「ジープ」「4座セダン」など多彩な内容であったが、「ロリー」以外の派生型については果たして本当に製造されたかすらも怪しい(1954年の前輪駆動モデルであれば貨物車のバリエーションは展開可能であったろうが、前期型のリアエンジン・オートサンダルの場合、構造・スペースの面から自在な設計は不可能であると見るほかない)。
1954年にはフルモデルチェンジが計画され、新型「FN-L型」は前輪駆動化されることになった。同時にエンジンも新型に変更される。前車軸前方に縦置きオーバーハング搭載される新エンジンは、水冷2ストローク・直列2気筒238cc・10HP/5,000rpmを公称した(社内製かエンジンメーカー製かは不明)。排気量が小さくなったのは、当時の軽自動車規格が2ストロークエンジンだと240cc以下に制限されていたからである。セルフスターターも装備された。
残されたカタログによれば、新モデルの2ストロークエンジンはガソリンとオイルの混合を配管上で行う分離給油仕様(後発の軽自動車メーカーより10年近く進んでいた)で、旧FN型同様に2座・3段手動変速が基本だが、最大積載量250kg、最高速度70km/hを公称しており、後発の日本自動車工業が製作した「NJ号」に匹敵するスペックであった(しかし車重は400kgと重く、多分に現実味の薄い数値であった)。全長2810mm、ホイールベース1570mmと大型化されており、シャーシは引き続きボディと別で、前後車軸とも縦置きリーフスプリング支持の固定軸を持つ(カタログ平面図から判別される)が、前輪駆動の構造制約上から「特許」を称する「自由関節ドライブ」を装備することがカタログに書かれており、前輪ドディオンアクスルであった可能性がある(ドディオン式の前車軸を持つ前輪駆動車は、1930年代以前の前輪駆動車黎明期にいくつかの先例がある)。
しかしこの前輪駆動モデルは、試作車のみで量産されなかったものと考えられている。カタログ写真およびシャーシ平面図では左ハンドル仕様となっていたが、その意図も不明である。
結局オートサンダルは、リアエンジン型がわずかに196台製造されたのみだった(200台以上とする文献もある)。福岡県久留米市の旧車販売業者「セピアコレクション」が保有するFS型とFN型各1台(後者はナンバープレート取得済)が2012年時点で現存しているが、その他の現存車は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「日本オートサンダル自動車」の詳細全文を読む




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