翻訳と辞書
Words near each other
・ 新約「巨人の星」 花形
・ 新約「巨人の星」花形
・ 新約巨人の星 花形
・ 新約聖剣伝説
・ 新約聖書
・ 新約聖書とイエスの歴史的受容
・ 新納一哉
・ 新納中三
・ 新納久仰
・ 新納久脩
新納久饒
・ 新納伊豆守
・ 新納刑部
・ 新納実久
・ 新納康久
・ 新納忠之介
・ 新納忠元
・ 新納忠光
・ 新納忠勝
・ 新納忠在


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

新納久饒 : ミニ英和和英辞書
新納久饒[にいろ ひさあつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 

新納久饒 : ウィキペディア日本語版
新納久饒[にいろ ひさあつ]
新納 久饒(にいろ ひさあつ、天文16年(1547年) - 寛永元年8月17日1624年9月29日))は、戦国時代薩摩の武将。薩摩守護島津氏の分家、新納氏の人物。父は康久。通称新四郎、五郎右衛門、号は遊甫。子に新四郎、養子に久詮
島津家家臣。新納家の庶流、康久の次男で旅庵の兄。薩摩隈城地頭。龍造寺氏阿蘇氏との戦いに参加。天正13年(1584年)には肥後合志城を攻略する功績をあげている。島津義久豊臣秀吉から琉球征伐の命を受けると、天正18年(1590年)に義久の命で琉球への使者となった。文禄3年(1594年)、文禄の役島津忠恒朝鮮に渡るときに兵糧を調達、飢えに苦しんでいた軍勢を助けるなどの功績があった。乱世の中長寿を全うし、78(数え年)で死去。法名「是信一以」。
フランシスコ・ザビエルが布教のために薩摩へ訪れた際に、久饒の父である康久の居城、市来鶴丸城に立ち寄ったことがあった。久饒は母や弟の旅庵とともに、ザビエルから洗礼を受けたといわれている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「新納久饒」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.