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教会の聖母子 : ミニ英和和英辞書
教会の聖母子[きょうかいのせいぼし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

教会 : [きょうかい]
 【名詞】 1. church 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 
: [ひじり, せい]
  1. (pref) saint 2. st.
聖母 : [せいぼ]
 【名詞】 1. emperor's mother 2. Virgin Mary 
: [はは]
 【名詞】 1. (hum) mother 
母子 : [ぼし]
 【名詞】 1. mother and child 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)

教会の聖母子 : ウィキペディア日本語版
教会の聖母子[きょうかいのせいぼし]

教会の聖母子』(きょうかいのせいぼし(、))、または『教会の聖母』(きょうかいのせいぼ)は、初期フランドル派の画家ヤン・ファン・エイクが1438年から1440年ごろに描いたといわれている絵画〔ヤン・ファン・エイクの兄フーベルト・ファン・エイクの作品とされていたことが何度かある。〕。オーク板に油彩で描かれた板絵で、ゴシック様式の聖堂内で幼児キリストを抱く聖母マリアをモチーフとした小作品である。貴石をちりばめた宝冠を被るマリアが腕に抱く幼児キリストをあやし、キリストはマリアを見つめながらマリアの衣服の胸元を握りしめている。13世紀の伝統的なビザンチン様式エレウサのイコンを思わせる衣装を身につけたマリアは、この作品では天界の女王として描かれている。
背景の身廊にあるアーチ状の飾り格子にはマリアの生涯を表現した木製彫刻が描かれており、壁龕には同じようなポーズで幼児キリストを抱くマリアの彫刻が見える。ドイツ人美術史家エルヴィン・パノフスキーは、背景の彫刻からマリアとキリストが生身となって抜け出てきたような構図になっているとしている〔Harbison (1995), 99〕。画面右の入り口には、賛美歌集を手にして賛美歌を歌う二人の天使が描かれている。聖母マリアを表現したビザンチン美術作品の多くと同じく、ヤン・ファン・エイクも『教会の聖母子』でマリアを非常に大きな象徴的人物像として描いた。さらにヤン・ファン・エイクは、教会の窓から降りそそぐ光を入念に描いている。きらめくように室内を照らし出し、マリアの背後の床に二箇所のスポットを作り出す光の描写が、マリアの処女性と神の恵みを表現しているのである〔Smith, p.64〕。
多くの美術史家が、『教会の聖母子』はもともと2枚の板で構成されていたディプティクの左パネルであり、現存していない右パネルには、依頼主の肖像画 (:en:donor portrait) が描かれていたのではないかとしている。ヤン・ファン・エイクとほぼ同時代人の「1499年の画家」(:en:Master of 1499) と呼ばれる画家とヤン・ホッサールトが描いたと言われる、『教会の聖母子』を複製したディプティクが二点現存しているが、それぞれの右パネルに描かれている内容は全く異なっている。1499年の画家のヴァージョンの右パネルには室内でひざまずいて祈りを捧げる依頼主が描かれており、伝ホッサールトのヴァージョンには屋外で聖アントニオスとともに祈る依頼主が描かれている。どちらの複製もヤン・ファン・エイクのオリジナルに大きな修正を加えており、より新しいスタイルの作品に仕上がっている。ただし、両作品ともに「オリジナルが持つ宗教的美しさは完全に失われている」といわれている〔Koch (1967), p.48. Panofsky (1953), p.487〕。
『教会の聖母子』が最初に記録に現れるのは1851年である。以来、この作品の制作年度や作者の特定が多くの学者を巻き込んでの議論となってきた。当初はヤン・ファン・エイクの初期の作品だといわれており、後にヤンの兄であるフーベルトの作品だとされた。現在ではヤン・ファン・エイクの作品であり、ヤンの1430年代半ばごろの絵画技法との比較で、『教会の聖母子』はヤンの晩年の作品だと考えられている。1874年にベルリン絵画館が『教会の聖母子』を購入し、コレクションに加えたが、1877年に盗難に遭った。間もなく発見されて絵画館に戻されたが、オリジナルの銘入りの額装は失われてしまっている〔Harbison (1995), 177〕。現在では『教会の聖母子』はヤン・ファン・エイクの最高傑作の一つとされており、ミラード・メイスはこの作品について「光の描写の美しさ、繊細さは西洋美術史上でも最高級」であると評している〔Meiss (1945), 179〕。
== 作者の同定と制作年代 ==

『教会の聖母子』の作者の同定や制作年代の比定は、19世紀から20世紀にかけての初期フランドル派に対する研究の進展が影響している。現在の学説の主流はこの作品が1438年から1440年ごろに描かれたとするものだが、1424年から1429年ごろの作品だという説も根強く残っている。15世紀に制作が開始された装飾写本『トリノ=ミラノ時祷書』には、複数の画家たちの手によるミニアチュールが掲載されている。これらの画家の詳細は伝わっていないが、現在では「画家 G」とよばれている画家はヤン・ファン・エイクだと考えられている〔Friedlaender, pp. 8 - 11.〕。しかしながら19世紀終わりごろには「画家 G」はヤン・ファン・エイクの兄であるフーベルト・ファン・エイクだとされており、1875年に発行されたベルリンの絵画館のカタログでも『教会の聖母子』はフーベルトの作品であると記されていた。20世紀初頭においても、ジョルジュ・ユラン・ド・ルーのように『教会の聖母子』はフーベルトが描いた作品であると断定した美術史家もいた〔。現在では『トリノ=ミラノ時祷書』の「画家 G」や『教会の聖母子』の作者がフーベルトであると考えている美術史家はおらず、現存するフーベルトの絵画作品は極めて少ないといわれている〔Till-Holger Borchert mentions that although Hurbert enjoyed a brief re-flourish in the early 20th century, during the latter half of the 19th century some scholars were claiming he was the invention of the 16th century, by "fiercely patriotic Ghent humanists", and a "fictitious character who had never actually lived, let alone been an important painter." See Borchert (2008), 12〕〔。1912年に発行された絵画館のカタログでも、『教会の聖母子』の作者はヤン・ファン・エイクであると訂正されている〔。
『教会の聖母子』の制作年代の比定も時代と共に変遷している。19世紀には1410年ごろの作品だとされていたが、研究が進むにつれてこの説は否定されるようになった。20世紀初頭にはオーストリア人美術史家ルードヴィヒ・フォン・バルダスが1424年から1429年ごろの作品だという説を唱え、後に1430年代初頭の作品だとする説が主流となった〔Dhanens (1980), p.323〕。そしてドイツ人美術史家エルヴィン・パノフスキーが『教会の聖母子』を詳細に調査し、1432年から1434年ごろの作品であるとした。しかしながら、リトアニア出身の美術史家メイヤー・シャピロ (:en:Meyer Schapiro) がさらに研究を重ね、1953年に出版した『初期ネーデルラント絵画』で『教会の聖母子』の制作年度は1430年代後半だと主張している〔Panofsky & Wuttke (2006), p.552〕。1970年代には、ヤン・ファン・エイクが1437年に描いた『聖バルバラ (:en:Saint Barbara (van Eyck))』との研究比較で、『教会の聖母子』は1437年以降に完成を見たという説が唱えられた〔。オーストリア人美術史家オットー・ペヒト (:en:Otto Pächt) も1990年代に、1434年の作品『アルノルフィーニ夫妻像』と屋内描写が酷似しているとして、おそらくヤン・ファン・エイクの後期の作品ではないかとしている〔Pächt (1999), p.205〕。21世紀になって、アメリカ人美術史家ジェフリー・チップス・スミスとジョン・オリヴァー・ハンドが、1426年から1428年の作品であるという新説を唱えた。もし1425年ごろの作品という説が正しければ、ヤン・ファン・エイクの真作と認められている作品の中では『教会の聖母子』が最初期の板絵ということになる〔Smith (2004), p.61〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「教会の聖母子」の詳細全文を読む




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