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政権交代を実現する会 : ミニ英和和英辞書
政権交代を実現する会[せいけんこうたい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
政権 : [せいけん]
 【名詞】 1. (political) administration 2. political power 
政権交代 : [せいけんこうたい]
 (n) regime change
: [けん, ごん]
  1. (n,n-suf) authority 2. the right (to do something) 
交代 : [こうたい]
  1. (n,vs) alternation 2. change 3. relief 4. relay 5. shift 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 
実現 : [じつげん]
  1. (n,vs) implementation (e.g., of a system) 2. materialization 3. materialisation 4. realization 5. realisation 
: [げん]
  1. (pref) present 2. current
現す : [あらわす]
  1. (v5s) to show 2. to indicate 3. to display 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

政権交代を実現する会 ( リダイレクト:政権公約を実現する会 ) : ウィキペディア日本語版
政権公約を実現する会[せいけんこうやくをじつげんするかい]

政権公約を実現する会(せいけんこうやくをじつげんするかい)は、民主党グループ。通称、鳩山グループ
== 概要 ==
元々、2002年(平成14年)9月3日に旗揚げした鳩山政権を実現する会を源流とする。鳩山が中心となって保守系の議員の結集を図ったものであった。その後、すぐに代表であった鳩山由紀夫が党代表を辞任したため、2003年(平成15年)1月21日に民主党政権を実現する同志の会として再スタートした。同年5月に名称を政権交代を実現する会に改称した。政権交代が実現した2009年(平成21年)9月に現在の政権公約を実現する会と再改称し、現在に至る。
毎週木曜日に鳩山の個人事務所での会合を定例としており、飲食代なども全て自己負担にするなど透明性を高めた運営を目指している。発足以来、旧新進党出身の議員や同じ保守系である羽田グループ所属の議員の取り込み、さらに川端グループのバックアップなどもあって結成当初から党内最大勢力として活動していた。ただし、2005年(平成17年)の第44回衆議院議員総選挙海江田万里ら鳩山の側近が多く落選した上、2007年(平成19年)の第21回参議院議員通常選挙小沢グループ横路グループに入る新人議員が多かったことから、現在では小沢グループに人数では劣っている。当初から去る者は追わず、来る者は拒まずという自由さや人数の多さもあって必ずしも一枚岩とはいえず、寄らば大樹の陰で参加している議員もいると言われている。このため、政策的なつながりは弱くサロン鳩山と揶揄されることもある。また、岡田克也のように一時的に参加したのち他のグループに戻ったり、移行する議員も多いため結束力は弱い。
川端グループとの関係が深く、旧自由党出身の議員以外の所属議員がほとんど参加している。このため、グループ友愛、鳩山・川端グループと言われることもある。
代表である鳩山は2009年(平成21年)5月16日発行の自身のメールマガジンで「『政権交代を実現する会』は派閥ではない。その証拠に政権交代が実現したらこの『政権交代を実現する会』は解散する。」と記した。しかし、政権交代後の9月11日の会合で政権公約を実現する会と名称を変更して存続することとなった。内閣総理大臣となった鳩山はグループでの活動を自粛し、代わって大畠章宏が会長に就任した。しかし、鳩山の故人献金問題が発覚し活動を自粛することになる。
2009年(平成21年)12月に政治団体として該当しながら選挙管理委員会に届けておらず、政治資金収支報告書の提出義務や寄付金の数量制限を逃れていたことが明らかになり、総務省から政治資金規正法上の各種の規定に抵触する恐れがあると指摘された〔首相の政策団体、無届け 収支報告提出7年近く逃れる 朝日新聞平成21年12月29日〕。グループの運営費は年間1千万円以上に上り、その殆んどを鳩山が負担している。鳩山はこれは派閥ではなく純粋な勉強会として政治団体には該当しないという認識を示した〔派閥じゃなくて勉強会」首相が朝日新聞に反論 産経新聞平成21年12月30日 〕。
2010年(平成22年)1月に活動を再開し、総務省に政治団体として届け出ることを決定した〔首相グループ活動再開政治団体の届け出へ。共同通信平成22年1月17日 〕。同時に、従来の事務所を解約し、活動の拠点を議員会館に移すことにした。同年8月には6月に内閣総理大臣を辞任した鳩山が最高顧問としてグループに復帰し、今後はグループ主催の勉強会を鳩山友愛セミナーとの名称で開催することに決めた。
しかし、かねてから首相退任後の政界引退を明言していた鳩山の退陣後、グループには急速な遠心力が働く。2010年6月民主党代表選挙に出馬した樽床伸二樽床グループを旗揚げしたのを皮切りに、かつて事務総長を務めた小沢鋭仁も独立して小沢鋭仁グループを旗揚げするなど、幹部の離脱が相次ぎ、グループは縮小傾向を見せた。
2011年(平成23年)6月、菅内閣不信任決議案の採決では、小沢一郎と連携して不信任案に賛成の意向を示した鳩山に対して同調したのは僅か3人であり、事務総長を務める中山義活らグループの大勢は反対の姿勢を示した、このため、民主党内からの造反劇は不発に終わる。一連の騒動で、自身の求心力の低下に衝撃を受けた鳩山は自らが会長に復帰すると共に、小沢に近い松野頼久を幹事長に据えて小沢シフトを鮮明にした。
8月の代表選挙ではグループから海江田万里が出馬するが、大畠や中山らは鹿野道彦を支持して分裂した。さらに、決選投票では鹿野支持派が野田佳彦を支持したことで海江田が敗北した。大畠らはそのまま鹿野グループを立ち上げ、グループの分裂・縮小が決定的になった。
11月2日、小沢鋭仁グループを結成して鳩山グループを離脱していた小沢鋭仁、大谷信盛らが、小沢鋭仁グループの活動の継続を条件として鳩山グループに復帰した。
2012年(平成24年)1月13日に発足した野田第1次改造内閣では平野博文文部科学大臣に任命され、松原仁国家公安委員会委員長消費者及び食品安全担当大臣として初入閣した。この際、平野は一部報道で鳩山グループ所属と報じられたが、鳩山グループ事務局からメンバーではないとの見解が示された。
第46回衆議院議員総選挙に鳩山は出馬せず、メンバーのほとんどが落選し、グループは名実ともに消滅した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「政権公約を実現する会」の詳細全文を読む




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