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擬木 : ミニ英和和英辞書
擬木[ぎぼく]
imitation trunk
===========================
: [き]
 【名詞】 1. tree 2. wood 3. timber 
擬木 : ウィキペディア日本語版
擬木[ぎぼく]
擬木(ぎぼく、フランスのfalse woodから)は、さまざまなメディアでの木材感、木材柄での芸術的模倣を指す。この工法はルネサンストロンプ・ルイユにルーツがある。これは、おそらく共通した鉄の材料によるロッド、バレルバンド、およびチキンワイヤーなどを「rocailleurs」と呼ぶフランスの庭の職人により、鉄のアーマチュアを使用したコンクリートを用いた最初の例である。
クラフトの初期の例で現存するのは1867年にパリでの博覧会のために開かれたビュット·ショーモンにあり、1873年に発明者、ジョゼフ・モニエールは橋が含まれるように特許を拡大。フランス、Chazeletの館の堀を彼は鉄筋コンクリートで設計された最初の橋で横断する。
パシー・ピット・ライト「Capturing Nature: the Cement Sculpture of Dionicio Rodriguez」 (2005. Texas A&M University Press)によると、それは、材木に似せ​​て彫刻されていた。
擬木は、コンクリートを組み合わせて使用し、モルタルやグラウトは、木製の材のリアルな表現を彫刻するために鉄骨やアーマチュアが適用される。混合物は、湿潤なパテ状態で、またはわずかに硬くしながら、最終的な仕上げを施すことができる。技術は、職人によって異なる。
1940年代後半から19世紀で最も人気のあるアンティーク擬木は、実際にはほぼ専門家の衰退経過とともに消えてしまった。いくつかは、(そのようなプランターとバードパスとして主に庭の芸術品の形で)そのピーク時から残る今、非常にコレクターの間で珍重されている。
メキシコとテキサス州では、装飾擬木のスタイルは時々「El trabajono Rusticono」(ラスティックワーク)として知られている。多くの場合、組成物と着色の両方で、より現実的な外観、ならびに本場欧州に匹敵する作業より細かく詳細な仕上げによって特徴付けられる。この世界で高い評価を受けていた芸術家ディオニシオ・ロドリゲスは、初めにメキシコで活動し、次にテキサス州に渡る。ロドリゲスは世間にそう広く知られていないが、彼​​の大規模な装飾擬木は、「Capturing Nature: the Cement Sculpture of Dionicio Rodriguez」 (2005. Texas A&M University Press)によると、国家歴史登録財として登録されている。
ディオニシオの甥は、今も擬木を作成する芸術家の数少ない一人。
== 擬木での景観対応 ==
擬木も景観材として擬岩擬石などと同様の用途として開発されたものにある。
井上 繁美 , 菅原 大輔 「擬木(<特集>公共空間-なんでこうなるの?) 」(『建築雑誌』 117(1483), 12-13, 2002年2月号)によると、日本国内では用途の90パーセントは道路構造物や公園などの公共空間に用いられているという。
同著は、こうした使用法をネガティブに捉えて論述されている。
札幌市が、造園工事標準図の参考図の、3.プラ擬木 を掲載しているなど、自治体の造園工事標準図に参考図が掲載されている。荒木芳邦も日本造園学会賞を受賞したリーガロイヤルホテル大阪滝の庭園では、プラ擬木を使用している。
なお、金井利彦『新宿御苑』(東京都公園協会、1980年)などにもあるとおり、日本では擬木はフランスから輸入して新宿御苑で橋の欄干に使用されたのが最初とされており、現在でも現地に現存している。
以降、日本庭園にもさまざまに使用されており、東京農業大学の粟野隆が西日本方面の擬石・擬木を用いた近代和風庭園、甲子園の旧新田邸庭園や和歌山県海南市にある琴ノ浦温山荘園の庭園調査やなどを通して、日本においての擬石・擬木を用いた庭園技法と変遷を整理している。
また、左官的塾 web塗り壁の文化を伝える 近代の造園資材としての擬木 左官的塾 web塗り壁の文化を伝える 擬態、この不思議な世界、そして擬の技 などで大体の変遷が読み取ることができる。これらでは、左官からの技術導入がなされたこと、そして、近代に庭園や公園が多数造営された東京、大阪など大都市圏で擬石・擬木の工法が近代造園家および造園技術者によって検討され始めたのを大正末期としている。
時期的には東京の庭師・松村重が椎原兵市にアイデアを持ち込むが、椎原は小林観山「椎原さんと擬木擬石作り」(『椎原兵市氏の業績と作品 所収、椎原兵市氏の業績と作品出版委員会、1966年)にあるとおり小林観山らと取り組み、大阪の天王寺公園和風庭園擬石製滝石組(1933年)や民間の庭園に導入していく。一方で松村は東京で井下清らと取り組み、東京の有栖川宮記念公園池泉擬石護岸および擬木橋(1934年)で成果を実らせる。このほかには、小川治兵衛の手がけた京都の都ホテル庭園擬石製滝石組(1933年)などがあり、また同時期、洋風庭園を各所で手がけていた橋本八重三なども人造木と名づけて製造販売に取り組んでいる。
この他、1924年に建てられた富田林寺内町にある南葛原家別邸の門や、煉瓦タイル貼りの柱に棚を組んでつくったパーゴラにも擬木が使用されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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