翻訳と辞書
Words near each other
・ 播種深度
・ 播種量
・ 播竜山孝晴
・ 播繁
・ 播野勤
・ 播鉄中村駅
・ 播鉄大門駅
・ 播鉄滝野駅
・ 播鉄王子駅
・ 播鉄社駅
播隆
・ 播隆上人
・ 播電鉄道
・ 撮
・ 撮(映)像技術
・ 撮って出し
・ 撮み出す
・ 撮み捻子
・ 撮み洗い
・ 撮み物


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

播隆 : ウィキペディア日本語版
播隆[ばんりゅう]

播隆(ばんりゅう、1786年天明6年) - 1840年11月14日天保11年10月21日)は、江戸時代後半の浄土宗の僧。槍ヶ岳の開山、笠ヶ岳の再興者。笠ヶ岳の東面の平坦地は播隆に因み播隆平と呼ばれている。
== 来歴 ==

* 1786年(天明6年) - 越中国新川郡河内村(現富山市大山地区)で一向宗門徒の家に生まれた。
* 1804年文化元年) - 19才で出家。京、大坂で修行した。
* 1823年文政6年) - 飛騨から信者とともに笠ヶ岳に登頂した。
* 1824年(文政7年) - 笠ヶ岳4回目の登頂で山頂に銅製の仏像を安置した。対峙する槍ヶ岳への登山を決意。
* 1826年(文政9年) - 信濃の玄向寺立禅和尚の仲介で安曇郡小倉村(現安曇野市三郷地区)に来て村役人中田九左衛門宅に宿泊、槍ヶ岳登山の志を告げた。賛同を得て、九左衛門の女婿で山に詳しい中田又重郎に案内してもらい、大滝山蝶ヶ岳を経由して上高地に入り、梓川を遡って槍沢の岩屋を根拠とし槍の肩付近まで登った。この時は偵察で終わったが、その後2年の間諸国を旅して浄財を集めた。
* 1828年(文政11年)7月28日 - 槍ヶ岳に初登頂、厨子を設置し、阿弥陀如来観世音菩薩文殊菩薩の三尊像を安置した。
* 自身の登頂のみでは満足せず、多くの人が山頂まで登れるようにするため、その後何度も槍ヶ岳に登り、その槍の穂の難所に大綱を掛け、また、より頑丈な鉄鎖を掛けるよう尽力した。鉄鎖を掛ける計画をした時にはたまたま天保の大飢饉があって一部の村人はこの計画のせいにして計画実行を禁止されたが、その後また豊作の年が来て再開された。
* 1840年(天保11年)10月21日 - 美濃国太田(現在の岐阜県美濃加茂市)でその生涯を閉じた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「播隆」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.