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振武台 ( リダイレクト:陸軍予科士官学校 ) : ウィキペディア日本語版
陸軍予科士官学校[りくぐんよかしかんがっこう]

陸軍予科士官学校(りくぐんよかしかんがっこう)は、大日本帝国陸軍兵科士官候補生を養成する教育機関(軍学校)。予士陸予士陸士予科などと略されることもある。
== 沿革 ==

=== 前史 ===
1887年(明治20年)に陸軍士官学校官制・陸軍幼年学校官制を制定しプロシア式の士官候補生制度が採用され、士官候補者となる生徒(将校生徒)を養成する陸軍幼年学校が再設立された。士官候補生は陸軍幼年学校及び旧制中学校(どちらも現在の中学一年生~高校二年生に相当)出身者からなっていた。
1889年(明治22年)6月、陸軍幼年学校官制を廃止し、陸軍幼年学校条例が制定された。その後、軍備増強政策による人材育成を図るため、1896年(明治29年)5月に陸軍幼年学校条例が廃止され、代わって陸軍中央幼年学校条例、陸軍地方幼年学校条例が制定された。東京陸軍中央幼年学校が、東京、仙台名古屋大阪広島熊本陸軍地方幼年学校が設立された。このため幼年学校の修学年限が中央及び地方あわせて5年間となり、幼年学校生徒と陸軍士官学校との関係が深まるとともに、幼年学校出身者と中学校出身者との間に区別意識が強くなったとされる。新制度の中央幼年学校出身者は陸軍士官学校15期以降である。
1903年(明治36年)、政府の財政難により陸軍中央幼年学校と東京陸軍地方幼年学校の合併が図られた。その結果、同年6月29日に陸軍中央幼年学校条例を全部改正(明治36年勅令第108号)、陸軍地方幼年学校条例を一部改正(明治36年勅令第109号)し、従来の陸軍中央幼年学校を陸軍中央幼年学校本科に、東京陸軍地方幼年学校を陸軍中央幼年学校予科とした〔『陸軍幼年学校体制の研究』、165 - 166頁。〕。
1920年(大正9年)に、従来の陸軍中央幼年学校本科が陸軍士官学校予科に、従来の陸軍士官学校が陸軍士官学校本科となる。予科の修学期間は4月1日に入校し、2年後の3月に卒業する。予科在学中は「将校生徒」と称し階級の指定はされず、卒業時に士官候補生(階級は上等兵)となり、兵科及び原隊の指定がされる。卒業後の4月から原隊で半年間の隊附(この間に伍長に昇進)を経て、軍曹の階級を与えられ10月に本科に入校する。新制度の陸士予科出身者は本科37期生以降である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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