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慈尊院 : ミニ英和和英辞書
慈尊院[じそんいん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [じ]
 【名詞】 1. love 2. affection (for) 3. pity 
: [みこと]
 【名詞】 1. (1) lord 2. prince 3. (2) words of a ruler

慈尊院 : ウィキペディア日本語版
慈尊院[じそんいん]

慈尊院(じそんいん)は、和歌山県伊都郡九度山町慈尊院にある高野山真言宗寺院山号万年山仏塔古寺十八尊第6番。
本尊の木造弥勒仏坐像は国宝(美術工芸品)。他に本堂弥勒堂、絹本著色弥勒菩薩像などの重要文化財を所蔵し、境内は国の史跡高野山町石」の一部である。本堂弥勒堂はユネスコ世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道』の一部〔〔、pp.39,75〕。
== 歴史 ==
弘仁7年(816年)、空海(弘法大師)が嵯峨天皇から高野山の地を賜った際に、高野山参詣の要所に当たるこの九度山の雨引山麓に、高野山への表玄関として伽藍を創建し、高野山一山の庶務を司る政所(寺務所)を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場とした。
高齢となった空海の母・阿刀氏(伝承では玉依御前)は、讃岐国多度郡(現:香川県善通寺市)から息子の空海が開いた高野山を一目見ようとやって来たが、当時高野山内は7里四方が女人禁制となっていたため、麓にあるこの政所に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していた。空海はひと月に9度(正確に9度というわけではなく、それだけ頻繁にということの例えだと言われている)は必ず20数kmに及ぶ山道(高野山町石道)を下って政所の母を訪ねてきたので、この辺りに「九度山」という地名が付けられた。
空海の母は承和2年(835年)2月5日に死去したが、そのとき空海は弥勒菩薩の霊夢を見たので、廟堂を建立し自作の弥勒菩薩像と母公の霊を祀ったという。弥勒菩薩の別名を「慈尊」と呼ぶことから、この政所が慈尊院と呼ばれるようになった。空海の母がこの弥勒菩薩を熱心に信仰していたため、入滅(死去)して本尊に化身したという信仰が盛んになり、慈尊院は女人結縁の寺として知られるようになり、女人の高野山参りはここということで「女人高野」とも呼ばれている。
高野政所に関して「慈尊院」という名称が文献に現れた最も早い例は三条実行(藤原実行)の『鳥羽上皇高野御幸記』で、天治元年(1124年)、上皇が当地に行幸し、慈尊院の由来について尋ねたことが記されている〔『週刊朝日百科 日本の美術40』、pp.3-314, 3-315(解説執筆は林温、井上正)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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