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庄資房 : ウィキペディア日本語版
庄資房[しょう すけふさ]
庄 資房(しょう すけふさ、弘安6年(1283年)? - 元弘3年(1333年))は、鎌倉時代末期の備中国小田郡(現岡山県南部)出身の武将。通称は左衛門四郎。幸山城・高山城初代城主。
== 略歴 ==
父は本庄有次とされる(複数系図が存在している為、断定はできない)。子息は庄資氏(通称七郎)と庄資政(通称左衛門)。資房の代から備中庄氏は「資」を通し字とする様になった。
系図の記述によると、庄左衛門四郎資房は、片山村、幸山城、高山城を領したとある。元弘年間に鎌倉幕府方の北条仲時(越後守)軍に従い、そのままへ落ち、共に東国へ逃れようと近江国まで行き、番場宿蓮華寺で仲時の一門と共に忠死したとされる。子息はその後、南朝に属して戦う事になる。
猿掛城・幸山城(高山城)の2城の城主と考えられるが、猿掛城に関しては諸説あり、子息の1人である資政が築いたと言う考えもある。あえて家長を猿掛城の初代城主として考察した場合、家長・家次・朝次・有次(時次を有次の弟とした場合)の後を継いだと言う事であるから、猿掛城5代城主と考えられる。この考えに則った場合、資氏は高山城・幸山城を継ぎ、その弟で養子となった資政は猿掛城を継いだ事になる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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