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帝都電鉄 : ミニ英和和英辞書
帝都電鉄[ていと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みかど]
 【名詞】 1. (1) emperor (of Japan) 2. mikado 3. (2) (the gates of an) imperial residence 
帝都 : [ていと]
 (n) imperial capital
: [みやこ]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis 
都電 : [とでん]
 (n) Metropolitan Electric Railway
電鉄 : [でんてつ]
 【名詞】 1. electric railway 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 

帝都電鉄 ( リダイレクト:東京山手急行電鉄 ) : ウィキペディア日本語版
東京山手急行電鉄[とうきょうやまのてきゅうこうでんてつ]
東京山手急行電鉄(とうきょうやまのてきゅうこうでんてつ)は、かつて東京外周に約50kmにわたる環状路線を建設しようとした鉄道事業者世界恐慌の影響で計画は頓挫した。
後に帝都電鉄と改称して現在の京王井の頭線を建設し、1940年に小田原急行鉄道に合併された。
== 概要 ==
東京では1925年山手線環状運転が開始されていたが、沿線のさらなる発展を見込み、私鉄によってその外周にもう一つの環状路線を形成することが考え出された。当時の鉄道省文書(帝都電鉄の綴)にも東京郊外の環状線計画について検討が行われた記録が残されている。
1926年9月に免許申請がなされた。しかし鉄道省での審議は反対派〔工務局長の後藤佐彦(後南海鉄道取締役技師長、江若鉄道社長)は沿線の人口は希薄であり到底採算が取れないとした『私鉄物語』167-168頁〕擁護派双方譲らず結論が出なかった。この騒ぎに井上匡四郎鉄道大臣が仲裁にはいり調査会を開くことになった。その矢先第1次若槻内閣が総辞職という事態が発生した。このため井上大臣は1927年4月19日に省議を開き東京山手急行電鉄の免許交付の指示をし懸案事項の解決をみることになった〔「鉄道免許状下付」『官報』1927年4月25日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔『私鉄物語』167-168頁〕。ところが当時は昭和金融恐慌が起こるなど不景気であったため、発起人〔発起人総代は三十四銀行の常務取締役兼東京支店長だった太田一平『日本全国諸会社役員録. 第32回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕〔主な発起人と役職早川徳次、利光鶴松(社長)、太田光凞(監査役)、渡辺嘉一(取締役)、金森又一郎若尾璋八『日本全国諸会社役員録. 第38回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕にはこれだけの新線を建設するだけの資金は存在しなかった。また、ほぼ全線を掘割での建設を予定するなど建設費が割高であったことや、交差する各線との協議をせねばならないなど明らかに杜撰な計画であった。なお、掘割にしたのは発生する残土で沿線の湿地を埋め立てて住宅地として分譲する計画があったからで、実際に住宅開発を行うための「東京山手急行証券」という子会社も設立されている〔東京山手興業に改称『日本全国諸会社役員録. 第38回』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。
そのため、鬼怒川水力電気の総帥であり小田原急行鉄道(現、小田急電鉄の前身)を経営していた利光鶴松の傘下に入り、増資を行って建設の機会を待つことにした。
それと同じ頃の1928年に、現在の京王井の頭線に当たる渋谷駅 - 吉祥寺駅間の免許〔1月30日免許「鉄道免許状下付」『官報』1928年2月1日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕を城西電気鉄道『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕(後に渋谷急行電鉄と改称〔『鉄道統計資料. 昭和2年』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕)という会社が得ていたが、こちらも建設の資金はなく、同じように利光の傘下になった。
利光は、1931年東京山手急行電鉄を改称した〔東京郊外鉄道に渋谷急行電鉄を合併させたが〔『鉄道統計資料. 昭和5年度』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕、当時は小田原急行鉄道も現在の小田原線1927年に開業させたばかりで、さらに乗客が伸びず苦心していた頃でもあり、東京郊外鉄道の環状線を建設するだけの余力はなかった。
そのため、比較的建設が容易とみられた渋谷急行電鉄の免許線の方を先に開業させることにし、1933年に社名を帝都電鉄『鉄道統計資料. 昭和7年度』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕と改称して1933年 - 1934年に順次開業させた。
東京山手急行電鉄が保有していた免許線の建設もあきらめたわけではなく、1936年には東京東部に当たる区間の免許を失効〔1月23日免許失効(豊島区駒込3丁目-深川区西平井町間 指定ノ期限マテニ工事施工ノ認可申請ヲ為ササルタメ)「鉄道一部免許失効」『官報』1936年1月23日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕させて終点を山手線駒込駅に変更し、大井町駅 - 駒込駅間の施行免許を得た。だが日中戦争1937年に勃発して次第に戦時体制となる中、山東半島における金鉱開発に失敗したこと、日本発送電の発足に伴い鬼怒川水力電気の電力事業を失ったこともあり、利光の事業環境は一層苦しくなっていった。これにより東京山手急行電鉄免許線の建設は到底無理となったため、帝都電鉄が小田急に統合された1940年に、1932年施行許可〔『地方鉄道及軌道一覧. 昭和12年4月1日現在』 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕を得た残り区間の免許も失効した〔「鉄道起業廃止」『官報』1940年4月27日 (国立国会図書館デジタルコレクション)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東京山手急行電鉄」の詳細全文を読む




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