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希帆ノ海譲 : ミニ英和和英辞書
希帆ノ海譲[まれ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まれ]
  1. (adj-na,n) rare 2. seldom
: [ほ]
 【名詞】 1. sail 

希帆ノ海譲 ( リダイレクト:希帆ノ海勇樹 ) : ウィキペディア日本語版
希帆ノ海勇樹[きほのうみ ゆうき]

希帆ノ海 勇樹(きほのうみ ゆうき、1984年6月4日 - )は、新潟県刈羽郡刈羽村出身で出羽海部屋所属の現役大相撲力士である。本名は山﨑 譲(やまざき ゆずる)。身長182cm、体重148kg、血液型A型。最高位は西幕下2枚目(2014年1月場所)。
== 来歴 ==
刈羽村立刈羽中学校在学中に力士になることを志し(理由は後述)、上越に巡業のため訪れていた出羽海親方(元関脇鷲羽山)と会食した際に入門を願い出た。中学校卒業見込みとなった後の2000年2月15日に上京して出羽海部屋に入門し、2000年3月場所で初土俵を踏んだ。初土俵時の四股名は本名と同じ「山﨑」。同期生には龍皇寶智山飛天龍らがいる。
初めて番付に名前が載った2000年5月場所から四股名を「希帆ノ海」に改めるが、序二段定着まで1年を要することになる。2002年3月場所で三段目に初昇格するが、1勝6敗の成績に終わり1場所で陥落、翌5月場所を全休したため、一時は序二段の下位まで番付を落とし、2度目の三段目昇格は1年後の2003年7月場所だった。しかし三段目で思うように星が上がらず、序二段へ下がった2004年3月場所から「越闘龍」に改名した。この四股名には、「越後の戦う昇り龍」という意味がある。改名した次の場所で三段目に復帰してからは三段目に定着し、2005年11月場所に、初土俵から5年かかってようやく幕下昇進を果たした。しかし、幕下に定着することはできず、以降しばらく三段目との往復が続くことになった。この間、初心に戻る意味を込めて、2007年5月場所から「希帆ノ海」に四股名を戻している。改名2場所目の同年7月場所では7戦全勝の好成績をあげて三段目優勝決定戦に進むが、に敗れて三段目優勝はならなかった。その後も負傷などがありなかなか幕下に定着できなかったが、2009年11月場所以降はようやく幕下に定着し、2011年9月場所では関取昇進の可能性があるといわれる、幕下15枚目以内の番付に初めて昇進したが、5日目の3番相撲、垣添戦で負傷をして途中休場。2012年1月場所で土俵復帰するも1勝6敗の成績で三段目に降格してしまった。
2年半ぶりに三段目に降格した2012年3月場所は、実力の違いを見せ付けて7戦全勝。場所前、師匠死去に伴い閉鎖された田子ノ浦部屋から移籍してきたばかりの、碧の正との同部屋決戦を制して三段目優勝を果たした。翌5月場所で幕下に復帰。2013年9月場所では7番目の相撲で十両経験者の荒鷲との全勝対決を制して初の幕下優勝を果たし〔【秋場所】35歳10か月の天一が三段目優勝 スポーツ報知 2013年9月27日〕、NHK中継の優勝インタビューでは師匠の出羽海親方が停年(定年)退職する2014年4月までに関取昇進すると宣言した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「希帆ノ海勇樹」の詳細全文を読む




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