翻訳と辞書
Words near each other
・ 巨勢村
・ 巨勢村 (岡山県)
・ 巨勢比等
・ 巨勢毘登
・ 巨勢氏
・ 巨勢派
・ 巨勢男人
・ 巨勢竜也
・ 巨勢臣比等
・ 巨勢至信
巨勢至忠
・ 巨勢苗麻呂
・ 巨勢親王
・ 巨勢邑治
・ 巨勢郎女
・ 巨勢野足
・ 巨勢金岡
・ 巨勢麻呂
・ 巨匠
・ 巨匠 (お笑い)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

巨勢至忠 : ミニ英和和英辞書
巨勢至忠[こ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こ]
 【名詞】 1. big 2. large 3. great
: [はずみ]
 【名詞】 1. (1) bounce 2. spring 3. rebound 4. (2) momentum 5. inertia 6. (3) spur of the moment

巨勢至忠 : ウィキペディア日本語版
巨勢至忠[こ]

巨勢 至忠(こせ ゆきただ、享保12年(1727年) - 安永7年12月19日1779年2月5日))は、江戸時代旗本巨勢至信の婿養子で、実父は土岐朝澄、実母は江原全玄の娘〔「寛政重脩諸家譜. 第8輯」 による。本文は161-162頁、コマ番号は92-93頁。〕。初名は利信、通称は新蔵、六左衛門、官位は従五位下伊豆守日向守、法名は超道〔。前妻は巨勢至信の2女、後妻は毛利高慶の娘〔。養子に巨勢至健松平忠刻の4男)、巨勢至方大岡忠光の3男)、巨勢至親板倉勝興の3男)、実子に巨勢利貞(病弱につき家督を継がず)、養女1人(実父:土岐朝貞、巨勢至健室→巨勢至方室→巨勢至親室)がいる〔。
==生涯==
先祖は古代豪族巨勢氏とされる〔。巨勢利次橘氏に改めて中井氏を称したが、巨勢利清の代に至ってまた巨勢氏を称したという〔。
延享2年(1745年)、初めて徳川吉宗御目見し、宝暦元年(1751年)に旗本寄合席に列した〔。宝暦3年(1753年)に定火消となり、布衣の着用を許された〔。宝暦9年(1759年)、江戸城西城に勤めて小姓組番頭に昇進し、従五位日向守に叙せられた〔。宝暦11年(1759年)に江戸本城勤務となり、御書院番の番頭となった〔。明和3年(1766年)、御側に昇進し、安永5年(1776年)には徳川家治日光山行幸にも付き添っている〔。安永7年(1778年)12月16日、病を得て務めを破棄しようとしたものの許されず、心を落ち着けて療養すべしとして命令を受けた〔。3日後の12月19日に死去、享年52〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「巨勢至忠」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.