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川田順 : ミニ英和和英辞書
川田順[かわだ じゅん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [じゅん]
  1. (adj-na,n,n-suf) order 2. turn 

川田順 : ウィキペディア日本語版
川田順[かわだ じゅん]
川田 順(かわだ じゅん、1882年明治15年)1月15日 - 1966年昭和41年)1月22日)は、歌人実業家住友総本社常務理事。漢学者川田甕江の三男。女優・歌手の佐良直美は従曾孫娘。
== 来歴・人物 ==
東京市浅草区三味線堀生まれ。府立四中一高を経て、1907年東京帝国大学法学部政治学科卒業。東京帝国大学では当初文科文学部)に所属し小泉八雲の薫陶を受けた。小泉八雲の退任を受け「ヘルン先生のいない文科に学ぶことはない」と法科(法学部)に転科したという。
元来、住友では中途で外部の官学出身者を引き抜いて採用していたが、1907年(明治40年)に新卒の第1期定期採用がスタートし、川田ら東大法科出身者は7名、京大法科出身者が5名の計12名が入社した。1930年(昭和5年)に理事就任後、同年一足飛びで常務理事に就任、1936年(昭和11年)、鈴木馬左也の後任として住友の総帥の座である総理事就任がほぼ確定していたが、自らの器に非ずとして自己都合で退職した〔山口日太郎『メガバンク学閥人脈』新風舎、2006年、167頁。〕。その間佐佐木信綱門下の歌人として「新古今集」の研究家としても活躍。1942年4月に歌集『鷲』『国初聖蹟歌』で第1回帝国芸術院賞受賞〔『朝日新聞』1942年4月14日(東京本社発行)朝刊、3頁。〕。1944年に朝日文化賞受賞。戦後は皇太子の作歌指導や歌会始選者をつとめた。
1948年京都大学経済学部教授・中川与之助夫人で歌人の鈴鹿俊子との恋に苦しみ、自殺未遂を起こし、いわゆる”老いらくの恋”と騒がれた末に結婚した。1963年日本芸術院会員。従曾孫佐良直美がいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「川田順」の詳細全文を読む




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