翻訳と辞書
Words near each other
・ 島本町立第二中学校
・ 島本町立第二小学校
・ 島本町立第二幼稚園
・ 島本町立第四小学校
・ 島本真
・ 島本真衣
・ 島本義文
・ 島本虎三
・ 島本融
・ 島本要
島本講平
・ 島本里沙
・ 島本雄二
・ 島本須美
・ 島本駅
・ 島本高校
・ 島本高等学校
・ 島村
・ 島村 (大阪府)
・ 島村 (富山県)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

島本講平 : ミニ英和和英辞書
島本講平[しまもと こうへい]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しま]
 【名詞】 1. island 
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm

島本講平 : ウィキペディア日本語版
島本講平[しまもと こうへい]

島本 講平(しまもと こうへい、1952年11月1日 - )は、和歌山県海草郡下津町(現:海南市)出身の元プロ野球選手外野手)・野球解説者
娘は、テレビ朝日アナウンサーの島本真衣
== 来歴・人物 ==
箕島高校時代は主戦投手・4番打者として活躍し、の第42回選抜高等学校野球大会で優勝。チームを全国制覇に導き、前年の選手権大会で準優勝した三沢高校(青森)のエース・太田幸司(後、近鉄バファローズに入団)に続いて甲子園のアイドルとなる。太田の愛称・コーちゃんと自身の「講平」の名に因んで、「コーちゃん2号」や「2代目コーちゃん」と呼ばれた。選抜大会で優勝投手となった島本は、同年夏の第52回全国高等学校野球選手権大会にも出場。1回戦で北見柏陽高校から完封勝利(スコアは8-0)を挙げるも、2回戦で湯口敏彦を擁した岐阜短期大学付属高校に1-6で敗退している。
この年は、湯口(同年、読売ジャイアンツドラフト1位)や広陵高校佐伯和司(同、広島東洋カープ同1位)と共に「高校三羽烏」「高校生ビッグ3」と並び称された。
1970年のドラフト会議では、一番くじを引いた南海ホークスが1位で指名。「チームに人気が無いから、島本で人気アップを狙う。来てくれるかな?」と、監督の野村克也から直々に指名され、高校卒業後に入団した。
プロでは外野手に転向し〔女子中高生アイドル島本コーちゃん、赤のトレパンで始動 〕、のオールスターゲームには、高卒ルーキーながらファン投票で選出された(一度も経験のない一塁手として選出)。プロ1年目の打撃成績は、8打数2安打(2本塁打)。南海では、在籍4年半でわずか16試合の出場に留まった。
1975年シーズン途中に佐々木宏一郎との交換トレードにより近鉄バファローズに移籍。7月26日のロッテオリオンズ戦の9回裏に代打で移籍後初出場すると同点2ランを放つ。移籍初年度より西本幸雄監督に抜擢され、控えながら40試合に出場しチームの後期優勝に貢献した。同年の打撃成績は、113打数32安打、打率.283。
翌年以降は外野の準レギュラーとなり、一時は4番を任されるなど、バファローズでは通算812試合に出場。とにはリーグ優勝も経験した。リーグ2連覇の1980年には規定打席には達していないものの、打率.351を記録している(128打席、114打数、40安打)。
のシーズン終了後、33歳で引退。
その後は、1990年代後半までの間、和歌山放送の『WBSゴールデンナイター』(大阪球場での南海ホークス戦中継)やテレビ大阪の『藤井寺バファローズアワー』(藤井寺球場からのバファローズ戦中継)で解説者を務めた。
近年は大阪府東大阪市にある野球塾「チェイスアワードリーム」の塾長として、子供達に野球を教えている。
なお、実弟の島本啓次郎(箕島高校→法政大学→読売ジャイアンツ→近鉄バファローズ)とは、バファローズでチームメイトだった時期がある(1981年途中から1983年オフまでの約2年半。但し、啓次郎は1軍戦未出場の為、パ・リーグ公式戦での同時出場は無し)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「島本講平」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.