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岑徳広 : ウィキペディア日本語版
岑徳広[しん とくこう]

岑 徳広(しん とくこう)は中華民国の政治家。南京国民政府(汪兆銘政権)の要人である。心叔チワン族(壮族)。末民初の政治家である岑春煊の子で、唐紹儀の娘婿でもある。
== 事跡 ==
日本に留学した後、イギリスのシンクタンクで研究員をつとめた。帰国後ワシントン会議中国代表団随員、梧州関監督兼広西省外交特派員、滇桂聯軍総司令部参議、善後会議議員などを歴任している。
1937年民国26年)に日本軍が上海を占領した頃から、上海に在った岑徳広は周仏海の知恵袋的存在となる〔上海市地方志「法国式建築的経典之作:馬歇爾公館(太原別墅)」〕。翌年9月28日に、岑は土肥原賢二を伴って義父の唐紹儀を訪問した。このとき、岑と土肥原は唐に親日政府参加を求めたと見られるが、まもなく唐は軍統に暗殺された〔南方都市報「外交篇·唐紹儀 十年一覚共和夢,贏得生前身後名」広州図書館ホームページ〕。
1940年(民国29年)3月、汪兆銘南京国民政府を樹立すると、周に従い、岑もこれに参加した。賑務委員会〔劉寿林ほか編『民国職官年表』1102頁は、「振務委員会」としている。〕委員長と第1期中央政治委員会延聘委員(以後4期務める)に任ぜられている。以後、清郷委員会委員、時局策進委員会委員、社会部行動指導委員会委員を歴任した。
1943年(民国32年)1月、賑務委員会は社会福利部に統合され、岑は国民政府委員となる。1945年(民国34年)6月、中央政治委員会最高国防会議秘書長に任命された。8月、経理総監部総監となっている。
日本敗北後、岑徳広は漢奸の罪に問われ、9月26日に南京で逮捕されたが〔余子道ほか『汪偽政権全史 下巻』1613頁。〕、後に香港への逃亡に成功した〔前掲注2〕。これ以降の消息は不詳である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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