翻訳と辞書
Words near each other
・ 山下徹
・ 山下徹大
・ 山下志功
・ 山下怜美
・ 山下恵理子
・ 山下悟
・ 山下悦子
・ 山下惣一
・ 山下愛葵
・ 山下慶一郎
山下慶徳
・ 山下憲一
・ 山下憲治
・ 山下扶美
・ 山下拓見
・ 山下政人
・ 山下政良
・ 山下敏和
・ 山下敏成
・ 山下敦弘


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

山下慶徳 : ミニ英和和英辞書
山下慶徳[やました けいとく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [やま]
 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point 
: [した, もと]
 (adv) under (esp. influence or guidance)

山下慶徳 : ウィキペディア日本語版
山下慶徳[やました けいとく]
山下 慶徳(やました けいとく、1946年4月20日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手外野手三塁手)。
== 来歴・人物 ==
和歌山県立海南高等学校では1年秋からエース。1962年秋季近畿大会では決勝で和田徹のいた明星高を降し優勝、翌1963年春の選抜出場を決める。選抜では1回戦で博多工に大勝。2回戦で下関商池永正明と投げ合うが、延長16回サヨナラ負けを喫する〔「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年〕。下関商はこの大会に優勝。同年夏は県予選準決勝で向陽高野崎恒男に抑えられ敗退、甲子園には届かなかった。翌1964年は春夏の甲子園に連続出場。春の選抜は2回戦で尾道商小川邦和に完封負け〔。夏の選手権は、2回戦でエース成田文男を擁する修徳高に逆転勝ち。準々決勝まで進むが亀井進古田忠士らのいた早鞆高に敗退〔「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年〕。
高校卒業後は河合楽器に進み外野手に転向。都市対抗野球大会にも常連として連続出場している。佐藤正治上垣内誠がプロ入りでチームを抜けた1970年には、レギュラーの座につき三番打者、中堅手として活躍した。この年社会人野球ベストナインに選ばれている。大型選手のわりにミートがうまかった。
1970年のプロ野球ドラフト会議ヤクルトアトムズから1位指名され入団。1972年には一軍に定着し、主に中堅手として58試合に先発出場。福富邦夫とレギュラーを争う。翌1973年はクリーンアップを打ち、同年は初の規定打席(17位、打率.259)にも達する。1976年にはチャーリー・マニエルの入団もあって、開幕直後から三塁手として起用され18試合に出場するが、シーズン中盤から外野手に戻る。
1978年オフに中山孝一との交換トレードで南海ホークスに移籍。1979年には外野手として93試合に出場するが打撃面で低迷、期待通りの活躍はできなかった。
同年暮れ、三浦政基との交換トレードでヤクルトスワローズに復帰。しかし出場機会は大幅に減り、1981年を最後に引退した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「山下慶徳」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.