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富田一白 : ミニ英和和英辞書
富田一白[とみた いっぱく]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とみ]
 【名詞】 1. wealth 2. fortune 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [いち]
  1. (num) one 
: [しろ]
 【名詞】 1. white 

富田一白 : ウィキペディア日本語版
富田一白[とみた いっぱく]

富田 一白(とみた いっぱく)は、安土桃山時代の武将。織田氏豊臣氏の家臣。伊勢安濃津城城主。
従来実名を知信(とものぶ)とされてきたが、近年これを嫡男・信高の初名として、知信=一白を否定する説が有力となっており、記録上確認できる実名は信広もしくは長家であるとされている。子に信高・高定・佐野信吉がいる。隠居後は水西と名乗る。一説に祖先は同族の出雲守護京極氏の家臣として仕えていたものの、尼子経久に追われて主君とともに旧領の近江に逃れた子孫ともいう。
== 生涯 ==
近江出身で、本貫地は近江浅井郡富田荘と伝わる〔宇神『シリーズ藩物語、宇和島藩』、P27〕。
当初は織田信長に仕えていたが、本能寺の変後は羽柴秀吉に従った(ただし天正元年(1573年)に秀吉に仕官したとも伝わる〔)。
以後、秀吉の外交使節として活躍し、小牧・長久手の戦い後の徳川家康織田信雄との和議の使者、続く秀吉の妹・朝日姫と家康との縁組の実現、小田原征伐のきっかけとなった名胡桃城争奪戦における北条氏直への問責とその後の伊達政宗との奥州仕置に関する交渉にあたった〔。朝鮮出兵にも参加しており、秀吉の御伽衆として活躍し、徳川家康との仲介役も務めた。また、秀次事件浅野長政が謹慎を命じられた際には五奉行の職務を代行した。
天正18年(1590年)、秀吉により豊臣姓を下賜された。
文禄4年(1595年7月15日、秀吉より自らは伊勢安濃津に3万石、嫡男信高にも2万石が与えられて〔、5万石の大名となった〔。
慶長4年(1599年)に死去し、嫡子・信高が家督を継いだ〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「富田一白」の詳細全文を読む




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